どこかのだれかの日々の記 リリィ その1

過去の遺物

リリィの所感

2482年 5月9日

まさか私がこんな前時代的な行動をとることになるなんて……こうなるなら「日記」なんて見つけなきゃよかった!もう「自身に関わる様々な事柄を日々記していく」なんていうのはする必要はないのに。312年前に起きた技術革新に伴う保存領域の超大幅拡張によって個人の記憶のバックアップがとれるようになった。それからの人類は「日記」というものを必要としなくなった。バックアップをとっている記憶情報は鮮明に残しておくことも技術革新以前の人類のように徐々に薄れさせていくこともその薄れた記憶を完全な状態で復元させることも可能。そんな世の中になって久しいはずだ。それなのになぜ「日記」を書かないといけないんだ!父親の田舎の家の蔵を掃除した時に出てきた424年前の「日記」が全ての元凶だ……424年前に書かれ始めたその「日記」はそこから筆者であるご先祖さまが死ぬまで書かれ続けていた。どうやら書き始めたのは今の私と同じくらいの歳だったみたいだが、ここから死ぬまでと考えるとその執念深さに興味をそそられてしまった。それが運のツキで課題の小論文に使えそうだとか思ってしまった。実際に「日記」を書いてみるのもいいかと思った以上やらないと気が済まなくなってしまった。よく偏屈だと言われるがこういう性格は自分でも難儀だと思う。今もう既にかなり面倒になってきている。というかこれは本当に「日記」なのか?「日記」たり得ているのか?「日記」を書くことに対する感想文なんじゃないのか?そもそもそれも「日記」なのか?誰かの「日記」を参考にしようとしてもそもそも「日記を書く」という行為をする人が現代に誰もいない。もしかするといるのかもしれないが「日記」というものの特性上、誰かに「私は日記を書いている」という必要もない。だから情報がない。だから必然的に技術革新以前のものばかりになるし今に「日記」が残っている人なんて偉人とかそのくらいだし、それも資料館とかそういうところに置いてある原本以外は大体脚色されて世に出ているからあまり触れる意味がない。もう飽きてきた。書くことに飽きてきた。終わろう。ただ課題のためにやらないといけない。遠大だ。

※ この文章はフィクションです。実在の人物・団体・名称などとは一切関係ありません。

いいなと思ったら応援しよう!