A MAN ON AIR IN NEW YORK.
過去に繋がる足跡を振り返りながら、男は慎重に次の一歩を踏む込む足場を踏み出そうとしていた。
緊張した彼の表情の先に、目印は無い。
360度見渡しても、彼の後ろに続く白線のように連なる足跡だけが、心細さを象徴するように存在していた。
男はまるで透明な、そこに足場があるとも限らない空中階段に、今にも足を踏み出そうとしていた。
ロウアーマンハッタン5th avenueの終わりでは、
50メートルの隙間もなくビルとビルが犇き、
人々の笑顔と涙と自由が休むことなく交差する。
乾燥した空気に覗く活気の成分からは、親切心と
ビジネスチャンス、恋人たちの愛が香る。
男は、最近やっと完成した 432 Park Avenue
の頭が通りからチラッと見える高さにいるが、
もちろんそんなものは眼中にない。
覗いている頭はペントハウスだろう。
こっちからは見えるが、あっちからは見えて
ないことだけは確実だ。いや、仮に見えたと
したところで、見ないことを選んでいるという方
が正確かもしれない。
とにかく、あそこに住んでいたら街の片隅の光景
なんかよりもセントラルパークみたいな魅力的な
景色やなんやら視界に入れるものは選び放題だ。
高いシャンパンとワインは飲めるし、珍しい食べ物が専属のシェフによって常にたくさん用意され
ていて、一口食べては捨てるを繰り返しても誰も何も咎めない。
ソファにはエルメスのクッションがたくさん並んでいるし、うっかり1万ドルのラグにジュースをこぼしちまっても気にする必要はない。何と何を交配させたのか知る由もないが、透き通るようなグレーの美しいロングヘアのネコが、今日も窓からマンハッタンを眺めては暇そうにしている。
こんな絵に描いたような(ただの絵でしかないが)人生を、どこかの誰かは送っていたりするのだろうか。
あのペントハウスに帰るには、426mもエレベー
ターで昇らなきゃならない。
だがそこに住むやつ以外はそもそも用は無いし、行ったところで軍人上がりのセキュリティに
デカいドアの前で睨まれて終わるのが関の山だ。
コンビニの店員はいつもダルそうにしているが、
この手の筋肉マンはいつも凛とした態度で場を制圧する。
だから、最上階に辿り着くには何分間エレベーターに乗るのかとか、乗るたびに気圧が下がって耳の調子がおかしくなるのか想像することくらいしか、することはない。
ここ数年のニューヨークでは、ハリガネみたいに
ポキっと折れそうなマンションが流行っている。
あんなとこで地震に遭ったらと思うと心底
ビビっちゃうが、180億円のペントハウスを
買うクレイジーリッチにとっては関係ないのだ。
少なくともゴジラがここに現れたら、真っ先に
このマンションを地面から引っこ抜いて振り回すに違いない。
とはいえ、1億8000万ドルの部屋を買うほどのヤツなら、アクシデントが起きた時には自分の命を買い替える契約を神様と結びでもしてるんだろう。
そもそも、こんな部屋を持ってたところで1年の半分も住まないなんてのがザラな世界線だ。家主がいない間に出入りするハウスキーパーが、誰よりもあの部屋で過ごしてることになっていたなんて話になっていても誰が驚くだろう。
街の誰かが言っていたが、あの部屋は最近アラブの石油王が買ったらしい。
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ロウアーイーストサイドには、100年前の写真にも写ってるレンガ造りのビルが見渡す限りそこら中に節度を持って佇んでいる。
路面に面した1階に入るピザ屋は、コンビニの如くどこに行っても目と鼻の先にある。
これだけ集まってるんだからハズレの店を探す方が難しいと思いきや、コインを投げて裏が出る確率と同じくらいにはハズレが紛れ込んでいる。そのことを知るのは、ピザに心を奪われた現代のコロンブスだけだ。
カナルストリートの駅を出てすぐのところにあるにあるピザ屋には、今日も栄養が空っぽの旨い味を求め10代から30代くらいの層が雑多な行列を作っている。
いつ行ってもそこにいる片耳にピアスをした若いスペイン系の店員が、今日もピョコピョコ忙しそうにピザ窯と会計を行ったり来たりの最中だ。
注文と会計の間にピザを焼いては、ペプシとコーラとファンタを箱から冷蔵庫に移す繰り返しの1日。この店はドクターペッパーだけは置かない主義らしい。
実は、そこのピザよりも隣のバーガー屋の方が
旨いことをみんな知らない。
いつもデカい声で喋ってる明るい店主のオッサンが手を洗ってるかなんて気にするヤツは行っちゃダメだ。洗っていると信じる心のみが試される。
大事なのは、信仰心を持つことだと誰かが言った。それが何だって誰にも何も関係ない。
宗教も宗派も、スーパーに並ぶ柔軟剤と同じくらい色々あるから気にしてなんていられない。
何を信じたところで人には優しくあるべきだと
大まかに説かれていることだし、おそらくオッサンはきちんと手を洗っている。
少なくとも、髪と爪を短く保つ努力は怠っていないのだからそれでいい。
人々の持つイメージは、嫌になるほどにステレオタイプだ。
ショッキングなテロが起これば人々はみなブルカを怖がり、忘れた頃にカニエが似たような格好をすればみんな揃ってマネをする。
ジャスティンビーバーだって、昔の大物のマネばかりだ。
この辺のピザ屋も例外じゃない。
最初の1軒目に出店したヤツが本物の英雄だ。
そのあとみんながマネして出店したのだから。
小麦とチーズとペパロニの色で溢れる中、唯一オッサンのバーガーに入ってるレタスが、人知れず鮮やかなグリーンの差し色として君臨する。
この辺での希少価値はエメラルドと同じだと言っても、誰が否定するだろう。
床にポテトが落ちていようが、店のどこを触っても油でベタついてる気がしようが、旨いモノは旨い。いつ食べてもこれ以上のバーガーはないとさえ思える。
ぱっと見ありきたりなバーガー屋に見えるからか、SNSに写真をタグ付けするやつもいない。
一体、世界中に散らばる60億人のうち何人が自分の店を出しているのだろう。この店の味には、世界には何軒の旨い店があるのだろうとつい想像させるほどのパワーがある。
とにかく、オッサンのバーガー屋はありふれて見える特に派手さもない店であることに違いはない。
看板は色褪せてるし、内装に金も掛けてない。
テーブルとイスすらなく、立ったまま食べるための狭いカウンターには、前の客がこぼしたレタスにドレッシングのアクセントが添えられた残骸が展示されている。
入り口の頭上にぶら下がるネオンの輝きがなんともボヤけているのは、電球が切れそうなのかそれとも悪魔的なニューヨークの排気ガスで燻んだせいだろうか。それでも、ドアガラスだけはいつだってピカピカに輝いている。
どんな場所にいたって、狭い所で人とすれ違う時には道を譲ることを選ぶべきだし、ドアだって後ろの人のために開けてあげるのが善だ。
でも、本当のお気に入りの味は自分だけのモノだ。知る人ぞ知る味は、なるべく隠しておくに限る。そうすりゃ食べたい時にすぐアリつけるし、
調子に乗った店主が足元を見て値上げすること
も、増えすぎた客のせいでせっかくの旨い味が
売り切れることもない。
ピザ屋の行列はごちゃごちゃ喋りながら並んで
いるが、バーガー屋の客は静かなものだ。
まるで、俺たちゃピザに並ぶのが億劫でこっちを
選んだんだよ。という振りをしているみたいに。
ここが旨いのがバレちゃいけない。
静かに並び、静かに食べる。
これが旨い店を自分たち流に守る秘訣なのだ。
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男は時折、強いビル風に晒される。その度に、張り詰めた表情は殊更の緊張感を滲ませる。
顔の水分はとっくにマンハッタンの空に召されたあとだ。それゆえ乾燥具合は、スーパーの棚にササミとして並べられる基準をクリアするだろう。
耳の感覚だって無くなってしばらく経つ。それでも男は、そんなの知るかと目に力を込める。いや、意識がそこに向いているかさえ定かじゃない。そんなこと気にしてられないといった方が正確だ。
男はまるで命綱の存在さえ知らず、身一つで生きる以外の選択肢が無いかのような出立ちだ。その佇まいからは、ほんの少しの刹那的な退廃的美しさを感じさせながらも、崩れかけのジェンガのような貧弱さは隠しようがない。
おそらく今の彼を見るに、視界はグラデーションの如く、上に向かうにつれ暗くなっているのだろう。
おおよそ、夕焼けをフィルムカメラで撮ったかのように。
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男の遥か下、汚れた地面がミニチュアの如く覗く。
身震いするほどの高さにいる男の足元には、豆粒のような人々がランダムに現れては角を曲がり消えて行く。
つい先ほど、30秒ほど視界の中にいたPRADAのナイロンバッグを持った20歳くらいの美人を、どこかでまた見掛ける機会を迎えることは出来るのだろうか。
160万人の人口を抱えるマンハッタンのどこかであの美人に再開できる確率と、2人の人間が出会った瞬間に一目惚れし合って付き合った末に結婚する確率とでは、どちらが高いのだろう。
交差点の赤信号の前ではマーチングバンドの隊列が、青に変わるのを今か今かと待っていた。
先頭で信号を待つ、マウンテンバイクのハンドルにビニール袋をぐるぐる巻きにしたメッセンジャーが指揮者だ。あいつらはいつもほんの少しの隙間を縫うように猛スピードで走るから車の連中からは嫌われてるが、ニューヨークでしか見られない名物役も果たしているところが指揮者らしい。
リーダーはいつだって大多数から嫌われる運命だ。
後ろに並ぶ黄色いタクシーは、マーチングバンドで言うところのカラーガードだ。マーチンングバンドのカラーガードはたいてい国旗だが、ニューヨークじゃ黄色いタクシー以上にその役目を果たせるヤツがいるだろうか。
考えてもみてほしい。初めてニューヨークに来た観光客がJFKを出た瞬間に目にするのが黄色いタクシーだ。ここで初めて、自分がニューヨークにいるという極上の甘味に酔いしれる。ターバンを巻いたインド系の運転手が彼らを手招きしながら、10年ぶりに同級生に会うかのような親愛を込めたアイコンタクトを送る。こうして観光客はこのアメリカの上辺的なフレンドリーさに心から感動しながら、後部座席という名のファーストクラスに時差ボケの身体を沈ませるのだ。初回限定のお客様特典として、マンハッタンに向かう優雅な車窓のオマケ付きだ。
観光客はバン•ウィック•エクスプレスウェイ(高速道路)でクイーンズとフォレスト•ヒルズの境い目を過ぎた頃、遠目に見えるミニチュアのマンハッタンで腹に入れる初めての食事に心を躍らせる。
そんなことを想像した30分後タイムズスクエアのマクドナルドで降りる頃には、改造されたタクシーメーターの表示は$200オーバーだ。
これが、ニューヨークの玄関から中心までの道中で味わえる甘味と苦味のハッピーセットだ。
甘味を先に味わうとロクなことがない。苦味がわかるからこそ甘味がわかるのだと誰かが言ったことを思い出させてくれる体験だ。これこそがカラーガードの名に恥じない、ニューヨークの象徴的な役回りだ。
黄色いタクシーの後ろに並ぶ、これでもかとクラクションを鳴らす攻撃的なラッパ隊には、アメ車からドイツ車、日本車までが幅広く在籍する。
まるでチワワみたいにキャンキャン鳴く車もいれば、ドーベルマンばりの美しいものまで。
トラックの放つ重低音のベースラインから逃れることができる場所は、おそらく存在しない。これが街のいつものBGMだ。信号の先、交差点の真ん中からはステージ演出の如く地下鉄の蒸気が舞い上がる。歩道の近くに見える、永遠に終わることのない道路工事の端に置かれた赤いコーンは、まるでニューヨークに溢れる情熱の象徴かのようだ。
今日は2月にしては暖かい、気持ちの良い日差しに包まれた午前だ。澄んだ冷たい空気が鼻を通るひんやり感からはまるで、最高の朝とはこれだよとでも言いたげなマンハッタンの意図を感じる。
信号が青になった時、ふとスマイリーマークが現れた。夜中、誰かが信号の青のところにだけスプレーで落書きしたらしい。右に左に真っ直ぐに散らばる、この先二度と集うことのないマーチングバンドたちに向かって、事故のない幸せな1日をと優しく見送るかのように。
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HERE’S THE SOUND TRACKS PLAYLIST 4 U.
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Witten by Smith.