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ピアノを弾く人たち

開け!瑠璃ノ小匣(ご案内)

先日、赤羽にあるスタジオセグエで、初めての「開け!瑠璃ノ小匣」を開催した。
コンセプトは瑠璃ノ小匣と練習会の中間的な発表会。
一般公開としながらも入場は予約制とし、そこそこの緊張感を保ちながら和やかなものとなる事を目指しています。
また、開演中は演奏の撮影・録音を行い、そのデータをそれぞれの参加者にご提供いたします。

「人前での演奏に挑戦してみたいけれど一般公開のイベントには尻込みしてしまう。」
「演奏動画が欲しいけれど撮影機材がない。」
「瑠璃ノ小匣に興味があるけれど、初めての参加には勇気がいる。」
などなど、こんな思いの方々が集まって下さると嬉しく思います。

次回の開催は10/27(日)です。
まだ演奏者募集中なので是非ご一緒してみませんか?是非参加をご検討ください。


ピアノを弾く人たち(本編)

「開け!瑠璃ノ小匣」の開催日。
僕は赤羽駅から会場となるスタジオセグエへ徒歩で向かっていた。その途中でストリートピアノを見つける。

赤羽は大きな街だから、駅前の通りには様々な音が溢れている。
ビルに設置された大画面モニターの流す音、雑居ビルに入居するお店が路面に出した看板から流れている音声CM、バスの発停車のアナウンス、道ゆく人たちの賑やかな話し声、車のエンジン音やトラックの進行案内の音声……。
至る所で多種多様な音が雑多に飛び跳ねていた。

そんな無秩序な音の波間に、時折、ピアノの音が遠く聴こえてくる。

波に揺られては埋もれ、ときおり水面に顔を出すその音は、遠くに揺蕩いながら弱々しく明滅していた。

どうやら、自分でも不思議と思うほどにこの耳はピアノの音に敏感らしい。ひとたびその微かな音の袖を捉えると、耳はひとりでに音の繋ぎ目を手繰っていき難なくその発信源へと辿り着いた。

大きな商業ビルの入り口にアップライトピアノがあった。そしてそこには、ピアノを弾いている人がいる。
演奏されている曲は……ショパンのワルツ。
たしか作品42。
聴き慣れた曲だ。僕も弾いたことがある。

道すがらピアノに少しずつ近づいていくと段々と演奏の輪郭が鮮明に見えてきた。

音粒は小気味良く飛び跳ねて楽しげに駆け巡っていた。静かな場所で聴いたなら、さぞ爽快な演奏と感じたことだろう。
いや、幾分ピアノに近づいたとは言え、まだそこそこに距離が離れているじゃないか。これだけ音の溢れた場所でここまで明確に聴こえてくるという事は(しかも小さなアップライトピアノで!)、もしかしたら近くで聴くとタッチのきつい演奏と感じてしまうのかも知れない。

さて……。
そう、ここには音が溢れている。

ピアノが置かれているのは大きな商業ビルの入り口だ。間口が広く取られた玄関は、全面を強化ガラスの扉で仕切られていて中の様子がよく見える。
入り口のすぐ上、2階から3階あたりの外壁には大画面のモニターが大音量のダンスミュージックをBGMにテナントのCMを流している。
ピアノのすぐ真上でリズムボックスがビートを刻んでいるのだ。
「ズンチャッズンチャッ、ドンドンチャッチャッ」
その下で演奏されるワルツ。
「ダンスミュージック繋がり?時代を超えて新旧の舞踏音楽が陳列されている。」(そんな大して面白くもない事が頭に浮かぶ。)
しかしそのどちらも行き交う人々の足を留める事はない。

彼はあんな所で、誰のために、何のために演奏しているんだろう。
ただ自分が楽しみたいだけならもっと良い環境を幾らでも選べるだろうに。それとも道行く人々に聴いてほしいのだろうか?
それにしたって、最近はストリートピアノがあちこちに設置されているのだからわざわざあんなにうるさい所で弾かなくても良い気がする。
彼は何故あそこで演奏しているのだろう……。

音楽って誰のためにあるんだろう?
何のためにあるんだろう?
誰にも求められずに生み出され、そのまま置き去りにされる音楽は、周りの雑多な音群と共に少しの間だけ揺らめいて、やがて意味なく消えて行くんだろう。
僕はそこはかとない虚しさを感じながら会場に到着し、準備を始めた。


この日の参加者は愛好家仲間の2人、英智さんと和伊くん。どちらも多忙な人だ。
それでも彼らはピアノを弾く。
コンクールに挑戦したり演奏会などに参加する。
練習時間が十分に取れず、理想の音と自身の演奏のギャップに苦しみながら、それでも演奏する。
一般的な相場の1.5〜2倍近い家賃を払ってでもピアノの弾ける部屋に住む。
毎月かなりの金額を使ってスタジオに練習に出かける。
僕の愛好家仲間はこんな人たちばかりだ。
これじゃもはや趣味などとは呼べないじゃないか。趣味の域をとっくに超えている。
音楽に纏わる小さな事の一つ一つに一喜一憂しては、必死にしがみついて追い縋ってる。

「僕は、こんな人たちがとても愛おしい」
そう思った。

様々な人々が様々な思いを胸に音楽に触れる。
僕の知るピアノ愛好家の世界はそんな所だ。
きっと音楽にはその思いの数だけ形があるのだろう。

僕にも僕だけの音楽が欲しい。

「音楽」という言葉の意味を、僕はもう少し自由に考えてみたくなった。

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