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Dual Residence: サくら&りんゴ#7

都庁が遠くにそびえ、坂を下ると神田川。
水平線から朝日が昇り、窓辺で水鳥の飛来を眺めるシムコー湖畔。
そんな東京とカナダ・オンタリオの二重生活を綴ります。
東京のサくら、Innisfilのりんゴ、つたない言語で

Mandatory three night hotel stopover  Day 1
ホテル隔離1日目

バンクーバーは雨模様である。
パッセンジャーボーディングブリッジから灰色の空が見えた。


成田空港の搭乗口では、肌の色が濃いアジア系の家族連れなどで列が伸びた。セキュリティを通る前は全くと言っていいほど人がいなかったので、カナダへの直行便がなく成田乗り継ぎかもしれない。PCR検査の陰性証明書を提示していないというので、はじかれている人たちもいる。私もバンクーバーでどうなるかわからないので他人事ではなかった。

機内は思いのほか混んでいた。ひとつ置いた席に乗客がいて、横になろうという目論見は外れた。通路を隔てた席には若いスリランカ人風のカップルに愛くるしい赤ちゃん。
見渡すと空いている席もあったのでフライトアテンダントに聞くと、好きなシートに代わっていいという。三席空いているところへ移動する。
映画をふたつ見て、それから横になって眠った。

パッセンジャーボーディングブリッジを渡り終えて着いたバンクーバー空港内は、私たちAC4便の搭乗者しかいないように見える。しんとしている。
いくつかのエスカレーターやムービングウォークウェイを過ぎてイミグレーションのエリアに入る。

まずはCanadian passport, Permanent resident のレーンを選んで進み、機械で登録をする。ここは税関の申告である。

そしていよいよイミグレーション。
人は少ないのに列ができている。いつもと違ってひとりひとりに時間がかかるのだろう。
審査官の前で急いでカバンの中からドキュメントを出す様子があちこちで見られる。

PRカード
パスポート
税関申告登録の際に出てきたスリップ
PCR陰性証明書
ホテル予約を証明するプリントアウト
ArriveCanの登録番号
PCR検査予約番号

以上を準備して待つ。
緊張している。

Next
と聞こえていよいよ私の番である

PRカード、つまり写真入りのID永住権カードを提示する
いつも通りの
どこから来たの?
どこへ行くの?
の他に
なぜ日本に行っていたのかと聞かれる。
母が亡くなって。

そう言うと

それは大変だったね
お悔やみを申し上げます

審査官は顔を上げて私を見る
ドキュメントの提示を求められるたび、私は立ちはだかっているアクリル板の横っちょからそれを差し出す。

私の数少ない海外経験ではあるが、カナダの審査官はどこの国よりフレンドリーである。ある時など焦ってブースに入ったように見えた審査官にNEXTと呼ばれて行くと審査の後

いや~娘が熱を出してね。
と彼が話し出したのだ。

妻は仕事で留守だし、犬も散歩に連れて行かなきゃいけないしでね

あら~それはたいへんだったわね

と私も返す。

そうなんだよ。全く焦っちまったよ

そして

ありがとう僕の話を聞いてくれて!

イミグレーションで審査官の身の上話を聞いたのは後にも先にもこの時だけである。


さて、ホテルの予約カードに目を通し終えた今日の審査官はそれを私に戻しながら

本当にお母さんの事はお悔みします。

そう再び言った。
私はうなずいて そして晴れて解放となったのである。


やれやれ、考えていた以上に事はスムーズに行った。ようやく入国、いや帰国である。
かなりほっとする。

イミグレを出るとテープが立てられていてワンウェイである。つまりすべての人はPCR検査場に向かえというわけだ。
予約登録済みのレーンを選んで進む。
とにかく ぬかりありの私が、事なくイミグレーションを通ることができて限りなく安堵している。ここで陽性結果が出てしまったら大変ではあるが。

PCR検査のブースではまずコンピューターの画面を見せられ登録内容の確認。

名前 
誕生日
そして国籍 
え?

Jamaica

とある。
これはJapanよね
モニターの向こうの女性が優しく訂正してくれる。

自分で登録した際、アルファベット順に国名が出てきたのだ。JapanとJamaicaが隣接していたせいで、そそっかしい私はジャマイカをクリックしてしまったに違いない。

やはり
ぬかりありの私であった。


検査サンプルは鼻からの採取。奥までは突っ込みませんので、と言ったとおりスワブで15秒鼻の中をくるくる。唾液のPCR検査は必要量出すのに結構苦労するのでこれは楽だ。なんせ年齢が上がるのと反比例して口の中が渇いてきている。よだれたらたらの赤ちゃんは苦労しないに違いない。

無事検査を終えてブースを出ると、ひとりのお兄さんがずらりと展示された箱の前に立っていた。
中のひとつをとって私の目の前に差し出す。
こんなところで何を買わせる気?
無視して通り過ぎようとするとそれは “次の”PCR検査キットであった。

隔離8日目にテストしてください。

8日目っていつから数えるのかしら。

忘れないよう日付を張り付けます。

そう言って ぬかりありの私を見越したかのようにお兄さんは 鮮やかなピンクのポストイットを持ってきた。

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“展示”された山積みのキットボックスの向こうには、 ぬかりありの乗客を見越して日付が記入されたポストイットがずらりと並んでいた。

AC4便のバゲージクレームではすでに荷物が出ていた。
持ち主のPCR検査が終わるのを待つスーツケースたちが、ぐるぐると回っている。
それらは2列に並べられている。手を加えてきちんと整頓した感が出ている。
列の内側に自分のスーツケースを見つけた。
しかしである。
スーツケースを取ろうとするとそれは内側に入っていて、うまく手が届かない。それらは、きつきつに二列に並べられているうえ、重いので簡単には持ち上げられない。おまけに手前の荷物が邪魔になって引きずり出すこともできない。カナディアンから見たらtinyな私は回っているスーツケースに手をかけながら中腰で追っかけ、とうとう引きずられるようになって、そして転びながらやっと荷物を取り出すことができた。
まったく。
羽田空港でPCR検査をしたときは違った。
時間がかかってバゲージクレームに急いだら、すでにベルトコンベアーは止まっていた。そして荷物は乗客ごとにまとめて、きちんとカートに載せられていたのだ。乗客名とお疲れ様でしたと言う手書きメッセージカードが添えられて。
検査のない普段は、荷物は一列に並べられて持ち手を手前に向けてバーゲジクレームを回ってくる。いつも利用しているエアカナダはANAとの共同運航なので、ANAのグランドスタッフがそう言った心遣いをしてくれているに違いない。
すばらしい。

カートにスーツケースを押し込んで税関に向かう。
税関用のスリップを渡す。
出口へと進む。
分厚いドアが左右に大きく開く。

空港にあるこのドアは、今まで暮らしてきた生活とこれから繰り広げられる生活の境。ドアが開かれた途端、目の前には今までとは違う世界とその喧騒が広がるのである。心躍る入国のときも疲れた帰国の時も、夫が待っていてもいなくても、このドアが開かれる瞬間が私は好きだ。

昨日までとは違う世界とその喧騒が広がる、はずだった。
しかし今日そこに見えたのは
張り巡らされたテープ。
行く先はここでもワンウェイ。喧騒もない。

テープの先には何処へどうやって移動するかを確認する人が待ち構えていた。
感染拡大のせいでまったくもって、勝手にどこへも行けないようになっているのである。

エアポートホテルを予約していたのでシャトルバスは不要。
指示通り外のエレベーターを使い3階へ。
航空会社のカウンターを通り越してホテルにたどり着く。

チェックインを済ませると指示されたエレベーターへ。
スプレーを持ったメイドさんがあちこち消毒してからエレベーター内に案内してくれる


部屋は
天井まで窓があって
飛行機の発着が見えた

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隔離生活の始まりである
受付で、食事のオーダーとその時間が決められていることを告げられていたので、すぐランチを注文することにする。バンクーバー時間でとっくにお昼が過ぎていた。
東京には距離的に近いけれど、私の住む湖畔オンタリオのInnisfilからは3時間遅れのバンクーバー。
私は時差を計算することをとっくに放棄している。
メニューを見ると思いがけなく色々な種類があった。

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1日目のランチにVariation of beets salad、色々ビーツのサラダを注文。トッピングはチキンとエビとサーモンから選ぶことができる。ドレッシングはバルサミコ。デザートはSeasonal fruit plate 。そして温かい紅茶。ミルクを添えてもらう。

オーダーしてほどなくドアがノックされチャイムが鳴る。
食事デリバリーである。
茶色のバッグがドアの外に置かれている。
人影はもうない。
一応Thank you と言ってみる。
するとどこからか
You’re welcomeと返ってきた。

人と一切の身体的コンタクトが断たれる4日間の始まりである。
食事が良さそうなのでちょっとうれしい。
大きなバスタブもあるし、そう悪くないかもしれない。

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それになによりインターネットのある時代でよかった。
こうしてnoteもかけるし。


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ながつきかず
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。