サくら&りんゴ #33 あまりの高額請求メール、まじっ?
突然の危機。
The life with me is never dull
僕と一緒にいる限り
つまらないなんてことにはならないよ
何度か夫が言っていた
ほんとにその通りだった
夫の周りではしょっちゅう嵐が巻き起こった
そして今、現実の夫の姿はもうここには無くなっているというのに、なお嵐がやって来る。
弁護士から来たメール。
それは予期していたもので、というよりむしろ、やれやれやっと来たかと言う思いで開いた。英文を読むのが面倒なのでさっと目を通して追いやろうとしたら
えっ?
驚愕の数字が目に飛び込む
夫に関する事項で、276642CAD(カナダドル)あまりの追加請求があるとのこと。
は?
そしてそれをどう処理したいかの判断を問われている。
何その額?
今日の為替相場で行くと日本円にして
24344496円である。
細かーい数字が並んだ会計士からの報告書も添付されている。
どゆこと?
夫は三つのビジネスを持っていたので、そのあと処理が困難を極めていた。夫の娘がビジネス方面の代理人を務めていた。彼女が手配した弁護士や会計士の人に任せて、あとは彼らが言ってくるままにすればいいと思い込んでいたのだ。
カナダの法律にのっとってやってくれればそれでいいと。
私はかわらずのんきな母さんであった。
メールの最後に当の弁護士が、
判断をする前にあなた自身のための弁護士と会計士に相談することをお勧めします
と記している。
私の?
そんなことが必要だとは思ってもいなかったのである。
まったくきみにはあきれるよ、なんにも知らないんだから。
そんな夫の声が聞こえてくる。
娘の夫と話して算段はできていたから、少々のブレはあっても大体その通りに事は進むはずであったのだ。
メールに添付される会計表をよく見ると
draftと言うハンコが押されていて、ちさーーーい字でfor discussion purposes onlyとある。
つまり 原案。話し合いの余地があり確定ではないと言うことであろうか。
話し合いの余地っていうのがそもそもあるものなの?
私はまだのみ込めないでいる
しかし英文を注意深く読めば読むほど、やり方によってはこの湖畔の家にも住めなくなることが分かって来た。
夫が残した一切のものはProbateと言う政府の管理元に一旦預けられていた。はじめはそんなシステムの存在も知らないから、“なにかわからないけどPで始まるなんとかっていうシステム”というお惚けなままで私は来てしまったのだ。
そして手続きにやたら時間がかかっていると思ったら突然の結末。
2週間後までに返事をとある。
2週間?
さんざん引き延ばしておいたあげく、完全に予定外の金額を提示し、そして二週間後に決断しろって
ど~ゆ~こ~と?
夫がデザインして
更地からセメントを入れて基礎を作って
枠組みを建てて
屋根を乗せて
壁を入れて
断熱材を入れて
ドライウォールを入れて
ペンキを塗って作って来た湖畔の家。
壁のない家で冬場は凍えながら寝袋に入ってすごしたらしい
ようやく私が住み始めても
工事は続いていた
そして今は
ペンキはまだ塗り終わっていなくて
二階のメイン浴室はバスタブもなく木材がむきだしのままで
地下は全くの手つかずで
裏庭に出るためにはぐらぐらの梯子階段しかついていなくて
あちこちのライトはまだ裸電球のままで
バスルームにシンクはなくて
すべてのクローゼットのドアがなくて
部屋のドアをやっと付けたけれどまだノブはなくて
洗濯機を使うたびにサムパンプのパイプと入れ替えなくてはいけなくて
雨が降ると地下の入り口に水が上がってくるというそんな家で
でも
毎朝 太陽が湖の水平線からのぼり
夏は毎日泳ぎに出て
グースたちが急ブレーキをかけながら一斉に着水する音を聞いて
満月はムーンリバーを湖面に描いて
真夜中には静かな波音がベッドをゆりかごのように揺らす
そして裏庭でキュウリが育つそんな湖畔の家から
私は離れたくない
私たちの結婚記念樹のサンドチェリーはまだ
ようやく幹が太くなって来たばかりで
夫が送って来たリンゴの木たちは今年初めて実をつけた
紅くなるのを待つばかり
だから
今はまだこの湖畔の家を離れられない
ぜったいに
そもそもなぜこんなことになってしまったのか
パンデミックで、このあたりの住宅が異常に高騰したことがひとつの理由らしい。
しかし日本流に言えば、近くにスタバはもちろんセブンイレブンもない田舎。少し歩けば林があるような場所である。いったい若い人たちが住みたい場所なのだろうか。
車で5分ほどの6th line にGo trainの駅ができると聞いてすでに7年。何の気配もない。近くに単線の線路があるが電車に出くわすことはほとんどない。日本のように踏切の前で一旦停止をしている車など見たこともない。たいてい少なくとも60kmの速度で通りすぎている。
こんな風に車がなければ全く身動きができない場所である。
隣人の推測ではなんでも
リモートワークが一般になって、リスクのある混雑した都会に住むより田舎に行こうと。
だから湖畔へって、なにもこの小さなシムコーの前に来なくたって。海のように広いオンタリオ湖も含めてカナダには31752コもの湖があるんですから!
人口3万人余りのこの小さな町を私は完全に侮っていた。
しかしこれは80年代の日本のバブル期を彷彿とさせるではないか。その混乱を私たちの年代はよーーく見てきている。
そんなことに惑わされませんから。
パチン
私の頭に
スイッチの入る音がした
湖畔の家を守るための
闘争開始である
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。