サくら&りんゴ #106 冬のオリンピック
ふいに家の電話が鳴った
リビングのテーブルで仕事をしていた時である。
一瞬出るか迷って、受話器を取った。
ほとんど使わなくなった家の電話は、かかってきても決まって訳の分からないセールスである。
しかし受話器の向こうは、懐かしい声と即座には言えないほど長い間会っていない友人であった。
交換日記をしようと言い出したのはどちらだったか。
私たちは奈良の小学校でのクラスメートだった。
ちょうどそのころ札幌オリンピックがあって、私たちは夢中になって交換日記にも書いていたと思う。
私たちだけではない、その当時大人たちの方が冬のオリンピックに夢中だった。
担任の先生が、今日は開会式だからテレビを見るぞって授業がなくなったよね
友人の言葉に
そうだった!そうだった!
するすると思い出が引き出されて、私たちはトワエモアの歌う札幌オリンピックの歌まで合唱できた。
それは確か音楽の歌のテストにもなっていたのだ。
変わらない、と思う
自分の気持が
そのころのままで
♪虹の~地平を~あ~ゆーみ出て~
いったいあれからどれだけの年月を生きてきたのだろう
私たちはそれぞれに何を経験してきたのだろう
何を積み重ねてきても
結局私たちの心はその芯のところで小学生の頃のままである
彼女の苦難も
私の苦しみも
結局のところ
その心の芯を覆うただの布きれだった
そんな気がしてくる
剥がせばあの時のままの気持ちがするりと出て来るのだ
彼女は、その札幌オリンピックの時の興奮が結局根底にずっとあって、最近またスキーを始めたという。バッジテストまで受けたと。
そういえば私たちは学生時代何度か一緒にスキーに行ったことがあった。しかしその事より、小学校の体育館でオリンピック選手の真似事をして休み時間を過ごした事の方が、私たちはずっと鮮明に覚えていた。
カナダにいると
私は今も小学生の頃と同じに
ゆっくりと時を過ごすことができる
まだ私はその地の多くのことを知らなくて
色々な事を夫が教えてくれて
それはまるで小学生の頃の私と同じだった
だから
心を覆う必要もないそんな生き方が
子どものままで生きる生活が
札幌オリンピックの時の興奮がまだそのままに残るような
そんなカナダの生活が
私は結構気に入っているのかもしれない
また一緒にスキー行かない?
彼女に誘われたがもう何十年もやってなくて
とても滑る自信はない。
カナダの家の前のシムコーが凍って子供たちが遊んでいても、スケートのできない私は見ているだけである。
カナダ湖畔の田舎町には各地区にあると言うカーリングクラブ。以前お手伝いに入っていたプリスクールでは、カーリングの選手が子供たちのためにストーンを持って訪問してくれた頃があった。
カーリング、ちょっとやってみたい気がするけれど。
バランスが悪いから無理だろ?
そんな夫の声が聞こえてきそうである。
気持ちは子供の頃のままでも
体はそうはいかない!
さて冬のオリンピック2022は, そのカーリングのカナダチームは負けて決勝トーナメントに進めない。代わりに勝ち取ったのが日本である。カナダVS日本のゲームはやっぱり日本を応援したくなる。
カナダチームの選手 が日本チームの進出が決まって、本当はとても悔しくて不満(総当たり戦が終わった時点で日本と同じ五勝四敗だった)であろうに、Congratulationsと言いたかったからと、日本選手たちにハグをしに行っている様子にはちょっと泣けた。
ヘッダー写真は先日エリックが送ってくれた湖畔。リンクがふたつ作られているのが見える。
子どもたちがホッケーをして遊ぶ声が聞こえてきそうである。
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。