湖畔だより。その後 14 雪の日
予報通りの雪となった。
時々風の唸り声が聞こえる。
水平線が曖昧になっている
Wendieが、
冬場、仕事がない時、1週間くらい家から出ない時もあるわ
そう言っていた。
フロリダ育ちの彼女は、この地の冬に慣れるまで、時間がかかったに違いない。
それを聞いて驚いていた私ももう、3日間家から出ていない。
1週間くらい家から出なくても、今やまったく平気である。
というよりむしろ 雪の中、車の運転をしなくていいと言うだけで
気持ち的に楽である。
あの吹雪の日の運転や、マイナス30Cの気温の中での病院往復がないと言うだけで
かなり安楽である。
夫の生死の狭間に立って、さらに極寒のストレスを持ちこたえる強さが、今の私にはもうないと思う。
すべてのエネルギーを使い果たした。
もう、ゆっくり過ごしていい?
そんな気分である。
子どもの頃、ハロウィーンとパンプキンとか、クリスマスともみの木とか、もちろん知っていたけれど、なぜそれが関係づいているのかがわからなかったわ。
Wendieはそんな話もしていた。
そうなのである。私も日本で育って、オレンジ色の大きなかぼちゃ畑も、もみの木の森も身近にないまま、イベントだけを取り入れて楽しんでいる。
かつて人々はこの寒さの中、森に行ってその年のもみの木を切りだしていたわけで。ハンティングしかり、私にはすっぽり、その最初の大変な労働の経験が抜けていて、今もそのままである。
Erickが ハンティングから戻ったあと、
歩きに歩いて疲れたと
メッセージを送って来た。
ディアハントに行ったわけだが、鹿は見当たらず、かわりに七面鳥を見かけたと。
考えただけでも疲れてしまう。
夫に頼まれて、6丁のライフル、グラスボー、ツリースタンドなど、ほとんどのハンティンググッズをErickが引き取った後も、ライフルのスコープや、ガン整備のための道具や、わけのわからないものがガレージから次々出てきた。
夫の人生の三分の一は、ハンティングで占められていたのだと思う。
私はその1ミリほどしか共有することができなかった。
ガレージにはたくさんの鹿の角も残されている。それを使って、キャンドルスタンドを作りたい。Jeniffer一家が引っ越しをしてから、まだその新しい家を見に行くことができていないのだが、そのhouse warmingのギフトにしたい。
キャンドルライトに照らされるお父さんの思い出。
雪の日はそんなことを考え付きやすい。
しかし角は思った以上に硬く、重く、私の手でうまくアレンジができない。例のFace book のAlcona Chatで聞いてみる。しかしそんなクラフトを専門にしている人が見つからない。
さて、どうしたものか。
午後になると雪がやむ。
窓の外を見ながら
東京の英会話教室のカリキュラムを二つ、講師のDaveに送る。
コーヒーを入れて、バタータルトをひとかじりしてから、ガレージのコットン製品の整理をはじめる。ガレージはもう寒くて長時間の作業は無理。段ボール箱をわざわざライブラリーに運び入れる。
すると誰かがやって来るのが、ガラス戸越しに見えた。
不動産会社の女性であった。
隣の家が売りに出されることになったという。
例の問題ありのお隣である。
17か月家賃滞納よ。全くオーナーに同情するわ。
売れたら住人は60日以内に追い出し。
Oh my である。
2歳半の男の子と、1歳過ぎの男の子と、9月に生まれたばかりの女の子はいったいどうなるのだろう。赤ちゃんはまだ首も座っていないだろうに。
停電の時に騒がしかった、ボートのカバーは飛んで行ったらしく、雪が積もっている。飼っていた鶏の姿は見えない。大麻を育てているガレージの灯りはちゃんと点いている。RitaとMarcが住んでいた頃、きれいに整備されていた庭は荒れ放題である。
夜の救急車騒動も気になるが、わざわざ訪ねていくのもはばかられる。
子どもたちが無事に育つことを祈るばかりである。
そう言えば、Florの15になる娘の友達が、両親の離婚で争いがあり、行き場がなくなりホームレスになっているという。
親の争いで、子供をホームレスにしてしまうっていったい???
あっちでもこっちでも子供たちが受難の目にあっている。
私はずっと何かしら子どもと関わった仕事をしてきた。
こちらに来てからは、カナダと日本の子供たちの架け橋、Little Cloudsと称して、モンテソーリスクールQuiet Watersの子どもたちと、東京の教室の子供たちがペンパルとなり、交流を始めることができるようになった。ところがそれ以上の活動が広がっていない。 広がらないまま園主が代わってしまった。感染が広がって訪問も出来なくなった。
キーボードのスペースキーがカタカタと鳴っている。ずっと空白状態が続いている。
夫がいたら、何だ、ちっとも進んでいないのか
そうしかられそうである。
自分は常に何かをしていないと、気が済まない人だった。
最後の最後まで、次のビジネスの事を考えていたなあ。
そう思いながらぼんやり、湖を見る。
色々な事が変わってしまった。
そしてこれから先、どんな風に変わって行くのか、まったく見当がつかない。
日々変化をして、一瞬たりとも、同じ色を、同じ表情を見せることのない湖。地図で見るとあんなに小さいLake Simcoeなのに
その存在は確固として揺るぎがない。
私が生きているうちは。
たぶん。