見出し画像

愛するということとアップル・シナモンティーと

先日、友人と話をして驚いた。

離婚をするつもりで別居したと。

いや、それで驚いたわけではない。
それは私も通ってきた道でもあるから。

驚いたのは結婚後しばらくしてから始まった
家庭内バイオレンスとも取れる夫の行為に
20年我慢したということにである。

私と変わらぬ世代のはずなのに
妻は三歩下がって夫の言うことをなんでも聞くものだと思っていたというのだ!

私は飲んでいたアップル・シナモンティーが気管に入りそうになった。

私が日本に帰国中と知って、話を聞いて欲しいとメッセージを送って来たのはつい先日のことである。
私の知る彼女は優しい物腰で
たびたび耳にした家族行事や旅行の話は夫婦円満だと私が勝手に思い込むのに十分なものだった。
夫の言うことを聞き続けてきた優しすぎる彼女は
夫の父親まで家に引き取って世話をしていたのだ。

なんたること!

彼女の人生を思って私は暗澹とした。

だから付き合って18年になるというボーイフレンドの存在を明かされたとき実のところ大いにほっとしたのである。
ずっと夫の横暴に我慢してきただけなんて
話を聞く私の精神衛生上よろしくない(笑)

なんせ、そういうことに我慢ならぬ私は日本人の前夫や前夫の父親と穏やかながら(多分・笑)きっぱりと拒否する闘いをしてきたから。
家庭内バイオレンスとは関係がなかったけれど
私の場合は彼らの、妻は、女はという勝手な決めつけや差別との格闘である。

そんな話をしたときアメリカ人の夫ジェイが言ったものである。

日本は男女差別がひどいというけれど、欧米では女性たちが闘ってきた長い長い歴史があるのだと。

私は社会に入ってそれと闘ってきたか?いや、全くしてこなかった。
が、少なくとも自分の周りにあることにはきっぱりと判断して、自分の世代で断ち切るようその姿勢をのちに成長する子供たちに見せることができたことはよかったと思っている。
しかしそれも30年は前の話である。

アップル・シナモンティーのお替りを彼女に差し出すと
彼女は私をまっすぐに見て言った。

夫ではなく、うんと年上のボーイフレンドとはその最期を看取るまで一緒にいたい。

その言葉は私の心にすっと入って行った。

私がジェイと再婚を決めたとき、姉が言ったものである。

離婚して夫の介護をしなくてすむのになんでまた結婚するの?

そういうことではないのだ
愛って。

最期まで看たいと思っているから

私も姉にそう答えていたのだ。
きっと姉には理解できなかっただろう。
姉に夫ジェイが亡くなったとカナダから伝えたら真っ先に

香典立て替えといてください

そんなメッセージを送って来た人である。

今も覚えている。

カナダ湖畔の家で
ジェイの最後の息まで
彼が一線を越えるその瞬間まで
私はそばにいて見届ける

そう決めたときのことを

ジェイの在宅緩和ケアで来てくれていたカウンセラーが言った。

亡くなっていく人がその時を決めている。そう思わずにはおれないことが幾たびもあるんです。

ジェイは私の気持ちをわかって
ちゃんと私の願いをかなえてくれた。

彼女が飲み残したアップル・シナモンティーを見ながら
彼女もそんな気持ちが遂げられるといいなと思う。

しかし20年の我慢とは途方に暮れるではないか。
ひとり娘がいたことも大きかっただろう。

それが当たり前だとか
自分が我慢すれば済むことだとか
あるいはそれに反抗することは自分のわがままだとか
そんな思いが交錯したのだろうか

この現代の日本においても
こうしなければいけないという思いに囚われて悩み
助けの必要な人がたくさんいるのではないか

そんな思いがしたアップル・シナモンティーの午後であった。

4杯分の紅茶に1/4のリンゴのスライスとティースプーン一杯のシナモンパウダー。
コップに注ぐときにシナモンが匂い立つ

いいなと思ったら応援しよう!

ながつきかず
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。