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戴冠式とおとぼけさんたち

エリザベス女王が亡くなった。
ブリティッシュのコモンウェルスであるカナダにとっても、大きな出来事である。

なかでもカナダのTrudeau首相が当日

カナダの歴史のその半分近くがエリザベス女王と共にあった

と声を詰まらせ、私はおお~!と思った。

エリザベス女王の即位70年を祝うプラチナジュビリーが今年6月にあったからその王位の長さはわかっていたが、それがカナダの歴史の半分近かったとは!
カナダ、若っ!と思った次第である。

アメリカと長い国境を接しているし、その影響が大きいので、日ごろカナダがブリティッシュのコモンウェルスに入っていることを忘れがちである。
日本にいる友人など、カナダにいると伝えたのにアメリカと勘違いしていたり。日本から見たら同じ方向で(笑)、なんだかごちゃッとなっているのであろう。こちらにいても日本と韓国がごちゃッとなっている人が周りにいるから、わからないでもない。

類は友を呼び私の周りにはちょっとしたオトボケさんが集まっている。

さて女王が亡くなってのこちらご近所さんの反応。
英国から移住のスーは、ずっとエリザベス女王だったからもういないと思うととても変な感じよ、と話してくれた。以前にも話題にしたがスーはプラチナジュビリ―のお祝いティーに呼んでくれたことがある。

レノアはファーマーズマーケットのコーンを持ってくよ!
そうメッセージをくれながら直後
今テレビでQueen’s procession(棺を運ぶ行列の事だと思う)を見てるから、もう少し後で
と言って来た(笑)


すべてのコインにエリザベス女王が掘り込まれているし$20紙幣(2000円くらい)にも載っている。(写真を撮ろうと思ったらそんな大金の現金がウチになかった💦(笑))
私が考えていた以上に女王様はこの国で人々の身近にあったのだろう。

1¢コインは随分前に廃止に。
クレジットで払うと1¢の単位まであるが、現金で支払う場合などは四捨五入

女王が亡くなるとともにキング・チャールズ三世の即位がカナダのオタワで宣言された。


しかし、これを見て笑ってしまった。
カナダは英語とフランス語が公用語。公の場では必ず英語とフランス語が共に使われる。たいていは英語が先で続いてフランス語。
英語での宣言が終わりフランス語に代わったその直後、祝砲が始まってしまったのである。(↑3:10あたり)
フランス語の宣言を無視してドーン!ドーン。驚いた顔、そして苦笑い、しかし砲声の爆音の中をフランス語の宣言は続けられる・・・

カナダってちょっとオトボケな感じがするのだが、私だけ?
アメリカ人の夫がいつも
That's Canadaって言ってましたけど。

いやいやオトボケな私がそんなことを言ってはいけない。
そしてさらに私の姉はもっとオトボケである(ここだけの話)

カナダって独立国じゃなかったの?

と姉。

独立国よ

じゃあなんでエリザベス女王が今も紙幣にあるの?独立してるのに変じゃない?

変と言われましても。。そう言う国の成り立ちと歴史ですから・・

そういえばこの姉。幼少期はちょっと苦労をしていて(笑)。
母が姉を将来音楽(ピアノ)の方向に進ませたく、音楽学校に連れて行ったり厳しいピアノの先生をつけたりしていたのだ。次女の私は大変そ~と見ているだけだったけど。
そしてある年のピアノの発表会。
姉はモーツァルトの戴冠式を弾くことになった。
その練習量がすごくていつもいつもその曲が聞こえてきた。その頃私もピアノを習い始めていたが、自分の曲よりもその戴冠式の出だしを口ずさめるくらいだった。
今だってほら、♪タ~タラ タッタッタッタッ タラリラタラリラリ~♪ってね。
ところがである。私たち姉妹がすっかり大人になった頃。つけっぱなしのテレビからこのモーツァルトの戴冠式が流れてきた。

あ、これ、おねぃちゃんが弾いてた曲だね

と言うと姉はとぼけた顔で、

え?そうだった?

あんなに練習していた曲なのに、驚くことに姉は全く覚えていなかったのである。
そしてつくづく 姉は母に無理にやらされていただけで、ピアノを本当に好きではなかったのだなと思った次第であった。

さてキング・チャールズ三世の戴冠式は来年に催されるらしい。
♪タ~タラ タッタッタッタッ タラリラタラリラリ~♪

ピアノは2:30から↓

今聞いてみると結構長い曲で、姉が全曲弾いたかどうかは覚えていない。オトボケ姉はもちろん覚えていないだろう。

*commonwealth(コモンウェルス)は連邦というように表されることもあるが日本語の連邦とは意味的にしっくり来ていないらしい。


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ながつきかず
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。