「誰が」『言うから』「効く」メディア

ソーシャルメディアパニックも一通り終えたのかなと思うこの頃ですが、若者のテレビ離れ・SNS疲れから考える「公共とは」という事を考えたいと思います。

パブリック・パブリシティ。この定義はコトバンクによるとこちらになるようです。

このふたつからみるに公共の場における広告的活動のようです。端的に言うと広告があふれているのです。その中から琴線に触れるメディアを選び自分の居場所を探し出す。というのが近年のソーシャルメディアパニックです。

言葉の流れ
画像における何気ない風景
動画と音楽が重なったミニプレイヤー
カタログショッピング

これらは

Twitter
instagram
Tiktok
Pinterest

ですね。

どうでしょう?各メディアのインフルエンサーといわれ誰か思い出す人がいるでしょうか?

それぞれの人により違い、属しているグループも変わってきてるかと思います。

そうなると広告を出すがの人達はどうなるか?既存のメディアのインフルエンサー(芸能人の人達ですね)はどうなるか?メディアが個のモノとなり伝える側も普通のサラリーマンとなったら?

ここは田端信太郎さんの動きなどが面白いです。完全なる個でありながらメディアプレーヤーとしても活躍され大学も開催されてます。

リ・マッチングですね。

本という形を選び定義して繋がるメディアとして # 田端大学 を開催されています。関西や他の地方ではどのような方が出てくるのか?それとも地の利でもなくメディアプレーヤーとしてソーシャルエンゲージを高めながら個の属している仕事に還元していくために動く方がいいのか?。

これをモノのながれとして考えると

旅団を組み物産展として各地を転戦していくのか?スーパーマーケットとして一定量のバイパスをつなげていくのか?個人という活動においてもこの流れが出てくるのならパブリシティというのは改めて考えないといけない時期かと思います。

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