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ばあちゃんに捧げるせめてもの…

オリジナル曲で「せめてものBlues」という歌があります。

じいちゃんがもうダメかもしれないと、田舎の母親から連絡をもらっても、借金しながら食いつないでいた状況で帰省すらできない。

ごめん。帰れないよ。

じいちゃんに対する申し訳なさと、自分自身の情けなさを感じながら、せめて歌を作ろうと。

亡き・じいちゃんに捧げる歌です。


一方、ばあちゃんは元気です。

といっても、93歳?くらいじゃなかったかな。

最後に顔を見せたのは2年前か。

ボケが進んじゃってるので、おんなじ事を何回も言うし、耳も遠い。

まともに会話ができないんですが、僕が孫であるということは覚えてくれているんです。


去年から、施設に入居しているようで。

コロナ対策の観点から、親族でも面会はできないみたいですね。

母親でさえ、あまり会えていないそうです。

墓参りに帰省した際に、顔をみせていたんですが、それもできなくなりました。

一度、その施設にメールで問い合わせたんですけどね。

会うのは難しくても、お土産とか渡せるのか、とか。

返信すらありません。

…まあ、文句言ってもしょうがないけど。


もう、ばあちゃんにも会えないかもしれません。

去年は確か母親に託して、写真をばあちゃんに渡してもらったんです。


今年はどうしようか。

動画メッセージとか作るのは簡単なんですが、ばあちゃんが見れないでしょ💧

感覚的にわかるもの。

写真や手紙は、実は「究極の贈り物」なのかもしれません。

あ、でも、ばあちゃん、手紙読めるのかなぁ?💧

(痴呆症の場合って字は読めるのかな?)


いっちょ、手紙でも書いてみるかぁ。

出番だ!とばかりに、万年筆が輝いて見えます 笑。

シンプルに手紙と写真を、せめてもの挨拶として。


ちなみに、母親にはまだ照れくさくてそんなことできないなぁ^^;

自分も40過ぎのおじさんなんだから、親孝行くらいサラッとしたいものですが。

照れくさいもんは照れくさい。


電話でも、手紙でも、またはエンタメコンテンツでも。

すっかり当たり前にデジタルになって。

LINE は便利ですし、動画もスマホで簡単に観れる。


でも、僕が感謝したいばあちゃんの世代には、そんなもの通用しないんです。

「ありがとう」は、タイピングで打つんじゃない。

言葉で伝えるか、手書きの文字で伝える。


僕はね、この感覚を音楽にも大切にしたいと思っているんです。

その話は、MBH.のブログで書こう。。。














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