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米原万里さんのこと5 心臓に毛をもじゃもじゃ生やして

 「番組の途中ですが、〇〇の記者会見が始まりましたので、同時通訳でお届けします」

 時々、テレビの番組が、こんなふうに中断されることがありますよね。これ、生放送中にやる同時通訳だから「生同通」というんだけど、画面に大きく「同時通訳 〇〇〇〇」って名前が出るから、否が応でも目立ってしまいます。

 昔は「こういう緊張度が高すぎる仕事を引き受ける人の心臓って、一体どうなってるんだろう? もしかして毛がもじゃもじゃ生えてるんだろうか?」と、理解不能でした。誤訳なんてしない、超トップクラスの通訳者しかやってはいけない神聖な仕事だと。米原さんは、この生同通を頻繁にやっていました。

 ある日、某局のニュース番組中に、ロシアの国会議員に生でインタビューすることになり、米原さんがその国会議員のロシア語を日本語に「表同通」する時の、「裏同通」を私がやることになりました。

 「表同通」とは、原発言の音はしぼって、それにかぶせた通訳の日本語音声が放送されることで、「裏同通」というのは、日本のキャスターの質問を、放送にはのらない回線でロシア語に訳す仕事です。

 もう何の話題だったかは忘れましたが、それが私のテレビ生同通デビューでした。「裏同通」だから事前に質問の内容はわかっていたし、放送はされなかったけれど、生同通は生同通。ドキドキした記憶があります。

 生同通用の部屋は、緊張感あふれる冷たい感じの場所なのかと想像していたら、ごく普通の一室で、雑然と放送機材が置かれた中にテーブルと椅子があり、スタンドマイクが2本置いてあって拍子抜けしました。

 そんな私が、今では、時々テレビ局に呼び出されて生表同通をやっているのだから、月日の経つのは恐ろしいものです。某局の生同通ブースは、今では、私が「裏同通」した時の部屋とは違って、閉所恐怖症になりそうな、身動きできない小さなスペース。通訳者二人と、問題が起こった時に対処する局のスタッフの3人が入るといっぱいになってしまいます。

 最初にやった生の「表同通」は、日露首脳会談後のプーチン大統領の記者発表。ちなみに「記者会見」と「記者発表」は違っていて、首脳のスピーチ後に記者との質疑があるのが「記者会見」、スピーチだけで質疑なしが「記者発表」です。つまり、一方的にプーチン大統領が喋るのを、原稿なしでぶっつけ本番で同通して終わりです。

 そのはずが、私が同通を始めると、プーチン大統領がしばらく喋ったら、逐次通訳が入るではありませんか。なんとこの日は珍しく、記者発表の会場にロシア外務省の事務官がいて、逐次通訳していたのです。つまり私が同通した後に、答え合わせみたいに事務官の正しい逐次通訳が続くのです。OMG!

 この時私は、痛恨の誤訳をしました。日露の貿易高が「170億ドル」と言ったのを、1桁間違えて、「17億ドル」と訳したのです。答え合わせまでには、隣にいた相方の指摘で訂正しましたが、とにかく同通なのに直後に逐次通訳もあるという、なんだか間が抜けた感じのなんちゃって生「表同通」になってしまいました。

 ただ、初めての生表同通をやってみた感想は、狭いブース内では、テレビの向こうに数百万人(?)の視聴者がいることを全く実感できないからか、意外に緊張しないということです。でも、もしかしたら、この時すでに私の心臓には、結構な毛が生えていたのかもしれません。

 心臓の毛といえば、この生表同通からさかのぼること数年、米原さんに声をかけてもらって、当時の自分の通訳力ではどうやっても歯が立たない会議の同時通訳をエイヤッと引き受けたものの、出来が悪くて、何度も米原さんに交代してもらったことは「弱点はおいといて強みを生かした方が」で書きました。

 二日間の会議が終わった日の夜、情けなくて一晩中眠れず、朝方になって謝罪のファックスを送りました(当時の通信手段は、まだメールではなくファックスでした)。

 そうしたら、間髪入れず「あんな程度の失敗でくよくよしないで。私なんてもっとすごい失敗山ほどしてきたのよ。心臓に毛をもじゃもじゃに生やしてがんばりなさい!」と返事が来たのです。

 カタカタとコミカルな音を立てて、ファクシミリからトグロを巻いて出てくる感熱紙の手書きの手紙を読みながら、申し訳ないのと、米原さんの毛むくじゃらの心臓(そう言えば米原さんのエッセイ集に『心臓に毛が生えている理由』というのがあります)と、因幡の白ウサギみたいに赤裸の自分の心臓が並んだところを想像しておかしいのとで、思わず笑い泣きしてしまいました。

 あの時のファックスの手紙、どこ行っちゃったかなぁ?

 米原さんとの通訳の思い出は、ひとまずこれでおしまい。またもう少ししたら今度は、作家米原万里さんが残してくれた数々の名作について書きたいと思います。

(写真は2006年7月7日「米原万里を送る会」で配られた「米原万里思い出帳」よりお借りしました:プラハから帰国するときに友達からメッセージをもらった「思い出帳」に米原さん自身が描いたイラスト。ロシア語で「さようなら」と書かれている)




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