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「ポメラ日記6日目(ポメラDM250とお散歩)」
「ポメラDM250を外に持ち出してみた」
・今日ははじめてポメラDM250を外に持ち出して書いてみた。普段は在宅なので外で執筆するという機会がめったにない。家にいてソファに座っているときに、膝打ちでポメラを使ってみたのだけど、案外打ちやすかったので、これはもしかしてポメラだけ持って行けば、執筆が出来るのでは、と思った。思いついてからは早かった。平日は在宅のライティング作業と短編小説に掛かり切りになっていたから、僕はもう部屋にいるのもうんざりしていた。ついにお盆を迎える今日の午後、思い切ってポメラDM250を外に持ち出してみた。
いまは近所の公園に出てこの文章を書いている。バックライトの光量をマックスまで上げて、夕方くらいの日差しであれば、屋外でも問題なく執筆できる感じだ。本当にこれでどこでも記事を書けるようになったなと、ちょっと感動している。
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あれ、これ持っていけばどこでも街中で書けるのでは?
探検隊は調査のため、近所の公園へと向かった。
暑かったので、街中の公園を移動しながら書いている。ベンチさえあれば外でも書けるということを実感した。夏でも日陰があれば問題ない。飲み物は小さなボトルに入れて持参した。家で作ったルイボスティーを持ってきているので、飲み物代はほとんど掛かっていない。唯一、蚊が飛んでいることだけが気になる。これはまあ仕方ないな。
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外へ持っていくと白はよく映える。夏の思い出になりそう。
秋口になってくれば、けっこう快適に外で書けるようになるんじゃないだろうか。ポメラは座るところさえあれば、どこでもものが書ける。この事実に、何だか狭かった視界が開けていくような気がした。僕はいまのいままで、ずっと壁に向かってものを書いていた人間だったのだ。街中を移動しながら書くということも新鮮に感じた。打っている間はそんなに人目も気にならない、気分を変えたかったら歩けばいいのだ。気に入る場所が見つかれば、また打ちはじめればいい。
普段、在宅で自宅の滞在時間が長いというひとに、街中ポメラはぜひおすすめしたい。外で書く、というひとは、けっこう喫茶店とかで書いているひとが多いように思うけど、僕は人目があるところだと気になって書けないことがよくあるし、テーブルの滞在時間のことを考えるとすぐに帰ってしまう。それで喫茶代として毎回600円くらい取られていくのも、何だかなという感じなので、公園ポメラを決行してみた。 ほんとうは座るところさえあればどこだって書けるものなのだ。
真夏や真冬はさすがに厳しいかもしれないから、その時だけ喫茶店などを利用して、あとは街中で書いてみようかなと考えている。ブログやnoteの記事くらいなら書ける手応えはあったし、もしかしたら小説さえ書けるんじゃないか、と考えたりもした。想像がふくらんでゆく。
久しぶりに外の日差しをまともに浴びた。公園のバックネットで野球少年たちが投げるボールの音が響いていた。目の前には犬を連れて散歩しているひとがいて、懐かしい砂と土埃の匂いがした。そういうところで、僕は文章をタイプした。
もしかしたらこういうところで書き続けられたら、いままでにないものが生まれるかもしれない。僕はベンチを立って、その場をあとにした。家で書いていたときより、暑かったけれど、気持ちはなぜか晴れやかだった。
「アマチュアの書き手、読まれない問題」
・一昨日にネット上に短編小説をアップした。無名の書き手だから仕方ないけれど、やっぱりあまり読まれない問題はある。もうちょっと読まれてもいいんじゃない? って自分の中で欲が出ることがあるのだけど、万年トーシローの文章なので、読まれないのは当たり前かと思った。僕だって無名の作家の小説を読むときはちょっと勇気がいる。つまりはそういうことだ。
小説の添削アドバイスを貰ったときににWebで純文系の小説を書くなら、やはり公募を狙った方がいいということを教えて貰った。僕は正攻法で行って箸にも棒にも掛からなかったし、公募の賞に合わせて書き続けるということをずっとやっていると、何だかあまり書くことが楽しくなくなってしまった。その当時、書いていたものをこれは小説なんかではなく、ただのお話に過ぎないといわれたとき、僕の中で何かが折れた。
書いた小説が落選したり、否定されることが数年間に渡って続いたので、次第に僕は何のためにものを書いてきたか、わからなくなった。公募に通るとか、通らないとか、プロになるか、ならないかとか、そんなことはどうでもよくなった。僕は小説を書くことの面白さを思い出したかった。それで短編小説を作りはじめたのが二年前のこと。
二万字前後の短編を七つ作った。公募の締め切りに合わせなくてよくなったので、僕はのびのびと小説を書くことができた。反響はあるときもあったし、ないときもあった。それでも誰かが読んでくれるのが僕は嬉しかった。このくらいの短編を書くのに、僕の生活リズムで3、4ヶ月掛かるんだなということもわかってきた。その上で、もう一度公募に挑んでもいいかもしれないなという気持ちが少しだけ戻ってきた。
(新作の短編小説「君は花束を忘れた」です。めげずに宣伝しています。)
まだわからないけれど、次に書くものは公募に出してみようかなと思っている。長編ではなく短編の賞に応募してみたい。書くことの楽しさを忘れずに応募することができたら、僕はそれだけでオッケーと思うことにした。
2022/08/12 17:48
Kazuma
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