Herge
好きなバンドのドラマーが卒業するらしい。
大学生の頃、なけなしのエネルギーのぜんぶをバンドに注いでいる程度には音楽が好きだった。ので、リスナーとしてもアマチュアプレイヤーとしてもバンドのメンバーが変わるということはとても大きいことだと知っているつもりだ。たった3〜5人そこらの組み合わせから、1人がいなくなってしまうわけだから。増してバンドというのは基本いわゆる縦割りで、それぞれが全く違う役割を担う共同体だ。身体の25%が別の人と入れ替わったら、きっとまったく同じままではいられない。会社だって、3〜5人の組織だったとしたら、同じ事業を続けるにしたって続け方が変わってしまうだろう。
同じメンバーで変わらずにバンドを続けていくことは、きっと想像以上に難しいことなのだろう。それぞれにそれぞれの音楽に対する向き合い方がある。その上生活があり、生き方がある。そしてそれらは少しずつ変わっていくということも、流石に30歳を超えているので理解している。
バンドじゃなくても、共同体というのは基本的に、かよわくほつれやすい糸がたまたま撚り合わさって、瞬間的に成立しているものでしかないのかもしれないなと思っている。
だからこそ、いつからかバンドというものがずっと同じままではないということを当たり前に受け入れるようになった。アルバムが1枚出ても、次のアルバムが当たり前に出るとは限らない。今日楽しそうに演奏しているように見えても、これが最後の瞬間かもしれない。あらかじめそのように身構えておけば、せつなさやかなしさを感じることもない。そもそも音楽は時間芸術であり、音が消えたら2度と同じものが生まれることはあり得ないのだ、と割り切ったポーズで、好きなミュージシャンたちの解散や脱退や逝去のニュースを受け止めている。
ところで、大学を辞めたろうかと自暴自棄になり、とある有名な企業にフルコミットインターンとして押しかけかかっているとき、「ま、お前の人生だしな」「よかったじゃん、応援するよ」と言ってくれる友達たちの中の1人が、「さみしいから辞めんといてえや」と言ってくれたことがある。
大学は、辞めなかった。たまたまかもしれないしそうじゃないかもしれない。自分でもよくわからない。
件のバンドを卒業するドラマーのこともバンドのことも、これからもずっとファンとして応援しています、でもやっぱ俺はさみしいから辞めないでほしかった、あの演奏が好きだったコーラスが好きだったあの組み合わせが好きだった。本当に応援しているし本当に寂しい、すべての感情が同時に矛盾せず成立するものだと思う。
レコードという媒体は、ただ単に音楽が記録されているという意味だけではなく、リスナーにとってもそれを聴いたころの思い出や感傷や風景を記録されてしまうという意味もあるような気がしてくる。どれだけ自分が変わって、別の場所でそれを聴こうとも。聴くだけのこちら側だって、ずっと同じままではいられないのだ。何重にも塗り重なっていく。変わってしまうことをちゃんと引き受けていこうと、自分に言い聞かせている。