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Stay Gold

運営に関わっているクリエイター向け就活支援サービス、ReDesigner for Studentでは、毎年年度末に卒業生向けのユーザーアンケートをお願いしている。

今年もたくさんアンケートに回答をいただいた。答えてくださった方々、ありがとうございます。
もちろんどのようなアンケートでも嬉しいのだが、とりわけ印象に残ったのがこの回答だ(一応原文ママではなく、少し改変しています)。

わたしは、最終的には一般職に就くことに決めました。
が、発信してくださる情報やイベントは確実に自分の知識やスキルを積み上げることにつながっていったと感じています。

ただの就活マッチングサービス風情が何を、と思われるかもしれないが、つくることの延長線上に働くことがあるべくサービス運営をやっているので、じんとした気持ちになった。運営メンバーの間でも話題になった。

つい最近、「デザイン思考の終焉」という話題がSNS上によく上った。
一応美大やらデザインを生業とする会社の端っこやらで10年以上しているが、自分としてはそれがいつの間に始まって終わったのかよくわからない。ので、突然「終焉」などと言われてもピンと来ないところがある。

少年期に詩を書き始めるところから始まり、その後前衛芸術から写真・タイポグラフィ・建築まで広範な創作活動に努め、更にはバウハウス〜イリノイ工科大学で美術教育の源流を構築したモホリ=ナジ・ラースローは、 “デザインをすることは職業ではなく姿勢である”と言ったという。
この言葉には、ピンとくるものがある。というより、何かをつくることよりも学生に高説を垂れる時間割合の方が多くなってしまった自分にとっては、縋るとも自戒とも言えないような思いと共に、常に大事に胸に抱いている言葉だ。

手を動かしてつくっている人は偉い。しかし、先のアンケートを回答してくださったユーザーのように、デザインという領域に触れ、手を動かす中で理解しようと努めた人間だって胸を張っていこうじゃないかと肩を抱きたい。作り手に対するリスペクトと、姿勢としてのデザイン(byアリス・ローソーン)を獲得した自分への自尊心は、矛盾しあうことなく両立するものと思う。デザインもまた美術と同じように、それを受容したり利用したり批評したりする主体がなければ成立しないものだと思うし、そうして受容することにおいても、つくることと同じように巧拙があるからだ。そしてその巧拙は、時代が動いていく中で磨き続けるべきものであるとも。さらに言えば、作り手だって常に作り手ではいられず、同時に受容者でもある。

これは自分に向けて書いているテキストでもある。
いくつかデザイナー職を受けたけど梨の礫だった学生時代の自分、美大職員として働きながらこそこそと授業のレジュメを先生に分けてもらっていた新卒時代の自分、デザインを生業とする会社の端っこなどと自虐を混ぜないとどこか腰が引けてしまう今の自分。
胸を張りつつも、あらゆる作り手へのリスペクトを欠かさずに行きたいと思う。自分も手を動かすことをやめない。ゆっくりだとしても。

デザイナーになる皆さんも、姿勢としてのデザインを身につけた皆さんも、どうかこれからもデザインの灯をを胸の中で絶やさないようにしていきましょう。お互いに。どこかで一緒に仕事が出来るといいなと心から願います。

改めてアンケートにご回答いただいたユーザーの皆さん、ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。
そして実はまだアンケートは回収中です。宜しければ、ぜひ。


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