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コントラスト

「年上のパートナーが地元で就職をしたので、自分も地元に残りたいのだ」と、その学生は言った。
だから地元企業か、フルリモートで働ける会社じゃなとダメなんです。

キャリアに関する相談を受ける仕事をする中で、この手の話題は実は結構ある。何度か面談を重ねて口調もくだけてきた頃にようやく、どこか言いにくそうな、でも意を決したようなはっきりとした口調で話されることが多い。

よくよく考えてみると、就活と呼ばれる市場において、この手の話題は些か少なすぎるようにも感じている。
新卒就活と呼ばれる人生の岐路において、学生たちは「10年後何をしていたいのか」「どんな実績を残したいのか」などの未来を嫌というほど言語化させられるのにも関わらず、必然的にそこにあるはずの、友愛やパートナーシップのような、他者との関係性に関することは話題に上らない。自分もどこかそういう意識があるからこそ、「なんか敢えて避けようとしている?」という気分がある。

でも、そりゃ考えるよねぇ、と思う。
あいつとずっとつるみ続けたいとか、この人と一緒に暮らせたらいいなとか。そんなにあかんことなんか、と自分に問いかけてみる。そういえばアラフォーになってしまった自分も先日、結婚式で十数年ぶりに会った大学時代の友達から「え、お前そんな仕事してるの?じゃあちょっと案件やってよ」と言われるようなことがあったりした。もしこいつと、大学を卒業したあとも同じ街で暮らし続けて、当時のように夜な夜な散歩しながら話す日が続いていたら、もしかしたら一緒に仕事をやっていたかもしれない、なんて想像も膨らんだ。

「自分の人生は自分だけで決める」「途切れるかもしれない人間関係を勘案して未来を選ぶべきではない」というような、いつの間にかインストールされている固定観念も、もしかすると「人に頼ることはいけないこと」「誰にも迷惑をかけてはいけない」といった自己責任社会を育む悪い種のひとつになっているのかもしれない。
結婚を前提にしていることと、結婚していることの間には確かに大きな違いがあるかもしれないが、今ある関係性を踏まえて勤務先や居住地のことを考えることはそんなに変なことだろうか。パートナー同士がお互いの事情を踏まえながら折り合う場所を見つけようとしたり、結婚や別姓に関してどう思うかを話す就活生たちの会話は、実は我々大人が知らない場所で密やかに花を咲かせているのではないか、と想像してみる。

プライベートな話をするのは憚られる時代でもある。人生の大きな選択において、そうしたくてもそう出来なかった人たちのことを考えるべき場面もあるし、自分の人生を肯定することがある種の価値観の押し付けに捉えられてしまうことだってあるだろう。
一方でやはり、そうした話が学生にとってもタブー視されすぎているようにも感じるのだ。学生が躍起になって唯一無二の正解を探そうとしてしまう前に、まずはそうしたN=1のストーリーが溢れるくらい入ってくる方が良いのではないか、と感じている。そして、惚れた腫れただの、若い人々の青臭いだのと言った他人事のようなフィルタを作らずに耳を傾ける時間も。

というわけで、きっといずれやります。そういう座談会みたいなやつ。これは宣言文です。

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