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Moving Day Pt.2

四年半家族で住んだアパートを出た。四年半の間に子どもは大きくなり、更に二人子どもが産まれ、手狭になったからだ。

東京メトロの始発駅。駅まで自転車で約20分。少し不便だが大きな公園がいくつもある良い街だった。
何よりも立地が良かった。袋小路にあり、アパートの前には自転車に乗る練習が出来るぐらい広いスペースがあった。向かいの民家に優しい大家さんが住んでおり、時々野菜をくれた。
そうした立地もあってか、全部で8戸ある住居のすべてに子どもが住んでいた。0歳から中学2年生まで。学校や幼稚園が引けた夕方、まばらに子どもや父母が集まり輪が大きくなっていくのを眺め続けられたのは、ほぼコロナ禍における外出自粛期間と重なったアパート生活だったからということもある。
四年半の間にそれぞれの子どもが大きくなっていくのを見た。歩けるようになる。走れるようになる。言葉を話せるようになる。幼稚園に行くようになる。自転車に乗れるようになる。一緒に遊べるようになる。虫を捕まえられるようになる。ゲームができるようになる。小さな子どもを抱っこできるようになる。子どもだけで買い物に行けるようになる。リフティングができるようになる。制服を着るようになる。眼鏡をかけるようになる。楽器の練習の音が聞こえるようになる。彼らはこれからも新しく何かができるようになり、一方で何かを置き去りにしていくのだろう。もうあとは想像するしかない。

父母同士の交流もあった。
が、今更後悔しているのは、「共通の話題が見当たらない」と、強い関わりを持とうとしなかったことだ。パパ友という名前を与えられるのがむず痒く、それを避けるようにしていた。
それでも家の前で子ども同士で遊ぶのを一緒に眺めた。町内のお餅つきで一緒にお餅をついた。リモートでの仕事が長引いた夜更けにコンビニに出かける道すがら、仕事帰りのパパ友とすれ違って挨拶した。

きっと、これらの人々と仮にもう少し親交が温まっていたとしても、いずれだんだんやり取りが減り、年賀状も送り合わなくなり、やがてごくたまに何かのきっかけで思い出すことがあるかないか、くらいの関係性になっていくであろうことを、これまでの経験で知っている。
そして今更、そういう関係性になるということと同時に、そういう一生は続かないような関係性こそが人生の大半を占めており、そしてたまにしか思い出さないとしても、パートナーや永い友人とはまた違った輝きを放つかけがえのない存在になるということを、30代も半ばに差し掛かってようやく理解し始めてもいる。やり取りが途切れても記憶は残っていく。おそらく互いに。記憶というのはどこまで持ち運ぶことができるのだろうというようなことを、暮れに亡くなった祖母の葬儀でも考えた。

新しい家は公園の隣に面した土地を選んだ。小学生の集団登校の集合場所にもなるということだ。
もちろん立地が決め手である。

来年の目標は、新しい場所で、もう少し心を広く開くことです。コミュニティとか繋がりとか、そういうものの大切さを説こうとする前に、誰かとただの友達になることを。

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