![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/5387718/rectangle_large_099c71652e8b89d9df2cc5d794d2c514.jpg?width=1200)
天国の夕焼け「スーラータンメン」
12月。クリスマスツリーが目にしみる。
寒い冬の夕暮れに僕はなじみの居酒屋に入って、ビールと餃子を注文する。
この店のメニューには5個、6個、8個、9個、10個入りという5つの餃子の選択肢がある。その昔、「7」にまつわるどんな不幸がこの店を襲ったのだろうといつも妄想してしまう。
「お客さん、ご注文どうします?」
妄想からはっと我に返り、反射的に「餃子5個」と答える。
「餃子5個入りま〜す!」
店員が厨房にオーダーを通したあとで、自分が本当は8個入りを頼みたかったことに気づく。なぜなら僕は今日、たくさんの餃子を食べたかったのだから。
ただ、一度厨房にオーダーが通ってしまった後で、やっぱり…と言って個数を変えることはあまりしたくない。付き合っていた頃の態度を結婚を期にガラリと変える試合巧者な人間みたいで、なんとなくバツが悪い。
餃子の皮はもっちりで、焼き目はこんがりよく焼き。僕の皿の上で餃子はしゅうしゅうと小さな音を立てている。
餃子を箸で持ち上げ間近で見ると、照り照りでツヤツヤな仕上がりに思わずゴクリと生ツバを飲み込む。
僕はそれを静かに口へ運ぶ。かりっとした焼き目の歯触りと、大きめにカットされたキャベツと玉ねぎのシャキシャキとした食感が小気味いい。そこに、肉汁がじゅわりと染み出してくる。
ニンニクと生姜がガツンと効いており、香味が口に広がる。自然とビールへ手が伸びる。
僕は今、幸福であると感じる。
しかし、幸福は長くは続かないもの。次の瞬間には、なぜ8個入りの餃子を頼まなかったのだ、という後悔が脳裏をよぎる。確実に手に入るはずだったあと3個分の幸せ(餃子)、それをミスミス逃してしまったのだ。
「まぁ、落ち着けよ。この店にはまだ”アレ"があるじゃないか」
そう自分で自分をなだめる。
僕は気を取り直して、”アレ”を注文する。この店に通う理由は、この店に”アレ”があるからなのだ。
2018年上半期の「しいたけ占い」を見て時間を潰していると、店員が”アレ”を僕のテーブルに運んできた。
コトン。
天国に夕焼けが差し込んだような料理の名は「酸辣湯麺(スーラータンメン)」。
この店のスーラータンメンは最高にうまい。
お酢とラー油の辛酸っぱい香りが鼻の粘膜を刺激し、食べる前からむせそうになる。
ズル、ズルル。
パンチの効いたお酢の酸っぱさに目が覚める。裸の背中を思いっきり平手でひっぱたかれたように、背筋がしゃんとする。
ラー油は辛さというよりも、その豊かな香りでお酢の酸味をそっと支える。さらに、それらのお酢とラー油をまったりとした半熟卵がやさしく包み込む。
うまい、完全にうまい。
このスーラータンメンを幾度となく食べているが、初恋の記憶のようにその美味しさはいつまでも色あせることがない。
早く、早く。次のひと口を体が欲しているのがわかる。口の中にありえない量の唾液が分泌される。お酢の酸味で唾液腺のネジがバカになったのだ。
こうなってしまってはもう終わり。ここからフィニッシュに向け、麺をすする手が止まることはない。
酸・辣・卵の3つの要素が、他の店舗では決して見ることのできない星座を描き出す。
餃子をスープに浸し、スーラータン餃子にするのもいいだろう。餃子にお酢やラー油をつけることを考えれば、酸辣(スーラー)のスープに餃子が合うのも納得がいくはずだ。
スーラータンメンは、とても難しい料理だと思う。酸辣(スーラー)と書くくらいだから、酸味と辛味のバランスが重要なのだが、特に重要なのは「酸味」だ。パンチの効いたお酢の酸味、それこそがこの料理の肝になる。
平均を好み、極端を嫌う日本人は、かなり速い段階でお酢の入れる量にブレーキをかけてしまう。
この"一線を超えたら酸っぱすぎる"という崖ギリギリを目指して走るチキンレース、それがスーラータンメンの醍醐味であり、料理人としての腕の見せどころなのだ。そのチキンレースに勇気を持って立ち向かい、勝利したものだけに本物のスーラータンメンの称号は与えられる。
そして、この店のスーラータンメンは、間違いなく本物のそれだ。
最後の一滴までスープを飲み干し、店を出る。スーラータンメンのおかげで寒さを感じなくなっていることに気づく。
ふわふわとした半熟卵の乗ったスーラータンメンには、12月の寒さにこごえる僕に神様がそっとかけてくれた毛布のような優しいぬくもりがあった。
・ひちょう
https://retty.me/area/PRE13/ARE23/SUB2303/100000041555/