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世界を幸せにするために――柳原和子さんのこととともに
大晦日。この時期になると、思い出す。
30年ほど前、出版社で働き始めた頃、雑誌で連載を書いていたライターさんが、飲みに誘ってくれたことを――。
大晦日の夜、先輩と一緒に、ライターさん行きつけの寿司屋へ行った。一年の仕事を労い合いながら、3人で酒を酌み交わした。
「私たちは、理論派ではないかもしれないけど、現場に足を運ぶフィールドワーク派として頑張っていこう!」
ライターさんはそう言って、励ましてくれた。
当時、まわりの仕事関係者は、私より知識も経験も実績も能力も全てにおいて、はるか彼方を行く人ばかりだった。自分の力のなさを思い知らされ、落ち込むことが多かった。そんな様子を見かねて、彼女は言葉をかけてくれたのだろう。
そのライターさんとは、ノンフィクション作家・柳原和子さん。
柳原さんは、世界40か国で暮らす108人の日本人に会いに行き、話を聴いた大型インタビュー集『「在外」日本人』(晶文社、1994年。後に講談社文庫)、自らのガン体験とともに、長期生存患者や専門家などへのインタビューをまとめた大著『がん患者学』(晶文社、2000年)などを書いた。
優しくて、情に厚く、行動力とバイタリティーがあって、私は秘かに「姉御」と慕っていた。
あの時、言葉をかけてもらったことは、今も支えになっている。
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文庫版になった『がん患者学』(中公文庫)の「あとがき」だったと思う。柳原さんは、担当編集者への感謝を綴った中で、その編集者の言葉を紹介していた。
「十年残る作品でなければ、本として世に送り出す意味がない」
柳原さんへの、厳しくも、同時に強い期待が込められているメッセージである。
この言葉は、私にとっての羅針盤になっている。果たして、自分が書いたものはどうか。歳月に耐え得るものになっているか。
小さな紙に書きつけ、仕事机の前の壁に貼って、常に見えるようにしている。
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柳原さんの最晩年の本、『さよなら、日本』(ロッキング・オン、2007年)を久々に手に取った。単行本に入っていないルポやエッセイが収録されている。
90年代初頭にイスラエルを訪ねたときのルポには、鉄条網で囲まれた狭い土地に押し込められて暮らしているパレスチナの人たちのことが書かれていた。イスラエル兵の監視下に置かれ、謂れなき罪で何度も投獄される人たち……。
「一つの苦難の民族が『故郷』を建設するために、膨大な人々が『故郷』から追い出され、屈伏を要求される」(「故郷――イスラエル」)
パレスチナの人たちの苦難はずっと続いてきたことを、改めて伝えてくれている。今読むと、さらに深く響いてくる。本の帯のフレーズとともに。
「世界を傍観したくはない。友の人生を案ずるように、世界を感じ、生きていたい」
そして、この本には、柳原さんの文筆生活30年の軌跡が綴られている。決して順風満帆ではなかった道のりが、その不器用で誠実な姿が、書き留められている。
柳原さんもこんなに苦労したんだ、俺も踏ん張らないと……。読み返すたびに、そんなエールももらうのだ。
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この一年は、極私的にもハードだった。自分の非力さが歯がゆく、焦り、もがき、苛立ちが募った。
俺はいったい何をしているんだ、何のために文章を書いているのか、と。
大好きなバンド、ヒートウェイヴの曲の歌詞を借りれば、「金じゃない、名誉でもない、この世に名を残すことでもない、ただ我が道を行くだけさ、彼はホーボーマン」(「ホーボーマン」)。
*ヒートウェイヴ「ホーボーマン」(以下はライヴ動画です)
恥ずかしげもなく言えば、世界が少しでも幸せになるために文章を書いていきたい。
これまでも、そして、これからも、ずっと。