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ネット以前の自分に戻る
「アナログレコードを聴くと、ネット以前の自分に戻れる」
先日、行われた山口洋さんのインスタライブに、ファンからこんなメッセージが寄せられた。
レコードをケースから取り出し、ターンテーブルに載せ、盤に針を落として、耳を澄ます。自分はレコードで音楽を聴くことがなくなってしまったけれど、この感覚は分かる気がする。
「ネット以前の自分」という言葉にも、強く惹かれた。
いまや、公私ともインターネットなくしては成り立たない。
便利さを通り越し、私たちにとってライフラインに近いものかもしれない。
だが、いつも世界とつながっているのは、時として息苦しくも感じるのだ。
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以前、私は年に何度か、東京を離れ、海沿いの小さな町に出かけていた。
自炊ができる宿に泊まり、地元のスーパーで食材を買って、食事を作る。読みたい本をひたすら読み、書きたいことを書き続ける。あるいは、これからのビジョンを考える。
朝のランニングで一日が始まり、執筆や読書などの合間には海を眺めに行く。そして、夜は静かで暗いものだと改めて感じ、眠りにつく。
滞在中、スマートフォンは持参しているが、ほとんど見ない。パソコンもネットにつなぐことはしない。
東京を離れ、そして、ネットからも離れることで、自分の中にいつも以上に「余白」や「隙間」が生まれる。普段とは違うことが思い浮かび、いつもよりも長い射程で物事を感じ、考えられる。
それは、私にとって欠かせない時間だった。
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友人にメールを送るのではなく、手紙を書くことがある。
季節や、相手の好みなどに合わせて、ポストカードを選ぶ。徒然なるままに、サインペンで近況や、そのとき伝えたいメッセージを綴っていく。相手のことを思いながら、静かに対話しながら。
メールは、瞬時に相手に届く。場合によっては、その直後に相手から返信をもらうこともある。LINEやチャットの類なら、もっと早いだろう。対話はあっという間に進む。
だが、手紙が着くのは、最速でも投函した翌日である。相手から返事が来ないことも珍しくはない。でも、それで構わないと思っている。
そんな余白のあるコミュニケーションが心地いい。
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長田弘さんの詩を、ときどき思い起こす。
海を見にゆく。ときどきその言葉に内がわからふっとつかまえられて、車で一人で、よく海を見にいった。(略)どこでもいいのだ。目のまえに、海が見えればそれでよかった。何もしない。じぶんが身一点に感じられてくるまで、そのままずっと、海を見ている。
(中略)
何をしにゆくわけでもなく、ただ海を見にゆくということにすぎなかったが、海からの帰りには、人生にはどんな形容詞もいらないというごく平凡な真実が、靴のなかにのこる砂粒のように、胸にのこった。
一人の日々を深くするものがあるなら、それは、どれだけ少ない言葉でやってゆけるかで、どれだけ多くの言葉でではない。
(長田弘「海を見に」、『記憶のつくり方 詩集』晶文社、1998年。2012年に朝日文庫に)
この詩を携えて、ネットから離れ、ふっと出かけたくなる。そんな日々が戻ってくることを願っている。
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冒頭に記した、山口さんのインスタライブでは、アナログ盤の魅力と聴き方が語られた。彼がプロデュースしたG.Yokoさんのファーストアルバム『Survive』が、このほどアナログ盤としてもリリースされ、それも少し聴かせてくれた。CDだけでなく、アナログ盤でも聴きたくて、私もこのアルバムを購入した。
でも、実はまだ、レコードプレーヤーは持っていない。これを機に購入して、アナログ盤を味わいたいと思っている。ティーンエイジャー以来の時間が、まもなくやって来る。