【対談:後編】 『サッカーにおける"抽象的思考"の重要性』 河内一馬×三倉克也
2019年1月上旬、『新サッカー論 サッカーとアートのカオスな関係』の著者である三倉克也さんと、私河内一馬が対談を行いました。『サッカーは「芸術」であり「表現」である』という2人の共通認識のもと、私はサッカーの専門家として、三倉さんは芸術分野の専門家として、様々な角度からサッカーを議論しています。
今回は【後編】です。ぜひお楽しみ下さい。
前編▼
—対談者プロフィール—
河内一馬(@ka_zumakawauchi)
1992年生まれ。26歳。サッカー指導者。アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長を務める監督養成学校「Escuela Osvaldo Zubeldía」に在籍中。サッカーを"非"科学的な観点から思考する『芸術としてのサッカー論』筆者。NPO法人 love.fútbol Japan 理事。
三倉克也
造形・表現作家。筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科修了。人間(身体)‐作品(表現)‐環境(場)をリンクする理論と実践の研究。主にアート&デザインの領域より「表現」としての表象文化全般を対象化する超域理論研究及び制作、演奏、教育活動を展開。サウンドアート、即興音楽、現代美術、表象文化論、環境芸術論、総合教育論等、複雑系カオス理論を基調にした学際的研究を専門としている。
***
■アルゼンチン人の即興力
三倉:「計画を立てないこと=悪=怠慢」といった認識がありますよね。そういう教育を受けてきていると、「全て決まっている通りにやらないとまずいんじゃないか」と洗脳されてしまう。その点アルゼンチンなんかはどうなんですか?ある程度の教育レベルはあると思うんだけど。
河内:僕の印象ではまさに「即興」を感じることが多いです。僕が通っている指導者養成学校は本当に即興です。大丈夫かってくらい(笑)講師がそもそも資料を持ってこないとか(笑)例えば先週あった試合のシーンをその場で切り取って、「これについてどう思うか?」をずっと議論している。アルゼンチンという国自体が、経済が尋常じゃないくらい不安定だったりとか、日常生活で予期していないことが平気で起こるので、そういった「臨機応変に対応する力」は物凄いと感じます。やっぱりアルゼンチン人選手って、欧米の強豪クラブでも必ず大事な役割をしている。監督もすごく優秀な人が多い。それを考えると「即興性」に関しての能力はすごく大きいのかと思う。その点は明らかに日本人より上だし、もしかしたら世界一なのかもしれない。
(編集部):アルゼンチンの問題の幅はすごく大きいよね。日本人はちょっとした問題で心理的な負荷がかかってしまうけど…
三倉:あんまりそういうこと気にしないんだろうね(笑)
河内:いや本当にそうなんですよ。例えばテストが何月何日にありますよっていうことを本当にギリギリまで教えてくれない(笑)誰も聞こうともしないんです(笑)僕ばっかりソワソワして(笑)それで「この日にやりますよ」って言われたら、僕なんかはもちろんその日に向けて準備をするんですけど、いざ当日になったら先生が来ないとか(笑)学校に爆弾予告があってテストが延期になったことも2回ありました(笑)結局そのテストはなぜか来年にやりますってなって、その時必死に準備してた僕は「ああ、これは日本人とは違う生物なんだ…」と悟りを開きました(笑)アルゼンチン人は超平気な顔をしている。
(編集部):試合前「今日は中止ですよ」みたいなこともあるもんね。
河内:プロのリーグでも試合の日が数日前に決まったりとか、普通は有り得ないことなんだけど、アルゼンチンでは起こる。例えばそうなった場合、試合に向けてもちろんコンディショニングをするんだけど、ギリギリで試合が決まった状況なら計画も何もなくなってしまう。そういう部分の対応力は相当だと思います。それでも戦いますから。
三倉:そこがサッカーの強さに繋がっているんだろうね。全てがそれで上手くいくわけではないと思うんだけど、例えば経済とかね(笑)でも彼らにとって経済よりもサッカーの方が楽しいから(笑)
河内:間違いないです(笑)そういう意味で、その都度その都度選手が対応しなければならないサッカーというゲームに関しては、日本人はそれをしっかり理解して、自分達には臨機応変に対応する能力、即興性がないということを自覚した上で、「じゃあ、どうする?」と考えなければならない。それは「その能力を身につけることを諦める」という意味ではないんです。
■サッカーを「自ら考える」ことの重要性
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?