"ある職業"を目指すことについて——。Jリーガーになりたい21歳
これは人によって、あるいは状況やタイミングによって違うのかもしれませんが、私の意見だけを言っていいのであれば、"ある(既存の)職業"を目指してキャリアを考えることは、しなくて良いと思います。それがJリーガーであれなんであれ、やりたいこと、なりたい姿、理想の仕事などを考えるときに、既存の職業(名前がついているもの)をターゲットにしてしまうと、やれ「どうすればJリーガーになれますか?」とか、「Jリーガーになるにはどんなことが大切ですか?」など、既存のJリーガーやサッカー関係者に尋ねることになってしまう(そのようなマインドセットになってしまう)からです。正直、そんなものは、環境によって、その人が持っている思考枠や精神的特徴によって、あるいは時代や流れによって異なるものですし、「僕はこうだったけど、あなたにはわからない」と伝えることしか本来はできません。
しかし、"ある職業"を"ある職業的プロセス"で追い求めようとすると、視野が狭窄になり、才能に溢れた人々と同じレースに同じ条件で出なければならなくなります。それは、私が思うに、ものすごく大きな可能性を勝手に狭めてしまっているのではないでしょうか。
それに、私たちは、私たちが思う以上に「職業(の種類)を知らない」ということはわかっておくべきだと思います。私たちが知っている何十倍、何百倍もの職業(仕事)がこの世の中には溢れていて、既存のものだけでもそうなのに、今新しい職業を生み出す人々で溢れかえっています。その、少ない、少ない、「知っている職業」の中から自分の職業を選ぶのは、あまり得策のようには思えません。
好きなお寿司のネタはなんですか?食べたいお寿司のネタはなんですか?と聞かれた時に、ウニを食べたことも聞いたこともない人は「ウニ」と答えることができないように、私たちのように小さい時からサッカーを真剣にしていたような人たちは、記憶のある時からサッカーだけを食べさせられ続けています。
もちろん、心の底からJリーガーになりたい人もたくさんいるかと思いますが、その数以上に、「Jリーガー」しか行く末を知らない人がいます。サッカーをすることの行く末が「Jリーガー」しかないのであれば、それは豊かではないように思います。
なので、立ち止まって、今一度考えてみることも必要かもしれません。もし「あ、俺"Jリーガー"じゃなくても良いのかも」と思えたとしたら、その時初めて"自分の方法でJリーガーを目指せる"のだと思います。一つの選択肢(方法)に縛られなくなること(そのような心理状態)は、キャリアでもななんでも、戦略を考える上で重要です。その結果"ある職業"を目指す(必然的に)のであれば、素晴らしいことだと思います。
あるいは「Jリーガー」という言語を「サッカー選手」に変換して考えてみるのもいいかもしれません。これはちょっとしたコツですが、言葉の抽象度を操作すると(するだけで)思考する領域が広がります。「サッカー選手」の定義を自分で定められるからです(JリーガーはJリーガーでしかありません)。
最後に、アルゼンチンにサッカーをしに行くことに関してですが、
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?