"WEB先行型"日本サッカー Prologue.3
■日本サッカーが踏んでいく段階
さて、ここからは今日本サッカーがどのようなフェーズに入っているのか、そしてまたここからどのような段階を踏んでいくのかを書いていきたいと思います。
現状の日本サッカーの一言で表すと「WEB先行型サッカー」、そしてまた「WEB完結型サッカー」と言えます。
つまり、サッカーのサイエンスを語るのは、現場ではなく欧米の情報に敏感な「WEB上の人間」が先であり(WEB先行型サッカー)、それが現場で生かされることなくWEB上で語り合うのみ(WEB完結型サッカー)というのが現在の日本サッカーの縮図です。欧米では現場が先です。現場の人間がサッカーをサイエンス化していき、それをWEBが追いかける、というのが正しい流れかと思いますが、少なくとも日本サッカーは、この「WEB先行型」と「WEB完結型」を脱しないことには、世界のサッカーを追い抜くことは出来ません。例えばより現場に近い民放テレビに出る解説者(元プロ現指導者)の発言よりも、Twitter上で展開される、一般人や評論家、ジャーナリストの発言の方がレベルが高いのが今の日本サッカーの現状です。しかし、Twitterで日本サッカーを変えることが出来れば苦労しません。
そんな日本サッカーは、今どのような段階を踏んでいるのでしょうか。
①海外のサイエンス(言語化されたもの)が注目を浴びる
今のサッカーメディアやSNSでは、海外のサッカーを学ぶ人、つまり「海外の理論(サイエンス)」を"知っている人"が、フューチャーされるフェーズに突入しています。日本人の特徴として「海外からの輸入」を好むというものがありますが、例えば、日本でも大流行した『ポケモンGO』をアメリカから先にリリースしたのは、その理論に則ったものです。
「サッカーの言語化」とメディア上で騒がれるようになったのも、海外のサイエンスを知っている人間の露出が増えたのが要因の一つです。その結果、今の日本では「海外の言葉を使ってサッカーを説明する」ことが正義(優秀)とされる傾向にあり、「サッカーはサイエンス化出来る(言語化できる)」という観点で見られることが主流になってきました。私はここに危機感を感じています。やがてこの「言語化された正解」は価値が落ちてきますので、自然と「正解以外の何か」が必要になってくることは予想が尽きます。日本は、何一つありません。
②サッカーを日本語で説明することを試みる
現在はこのフェーズに入りつつあるところだと思いますが、当然「日本語化」を提唱する指導者やメディアが徐々に増えてきます。しかし、それをするには「日本語の特徴」や「日本人の特徴」を加味して考えなければならないと私は思っています。
そもそも、日本語というものは、英語やスペイン語などの外国語と比べて、曖昧な表現が多いことは知られています。"回りくどく"言うことで、日本人独特のコミュニケーションが発生しており、その表現方法の多様さが、一方で「日本語の美しさ」を生みます。語尾を「な」にするか「ね」にするか、どこに「、」を置くのか、漢字を使うのかひらがなを使うのかで、全く違うニュアンスを与えます。
その日本語を「一瞬で認識させる」ほどシンプルな言葉で、サッカーを言語化することは難しいということが、徐々にわかってきます。そもそも日本で生まれていないスポーツを日本語で説明するのはほぼ不可能だと思いますが、現段階でも「ターン」は英語ですし、「旋回」などとは言いません。
もし「日本語で浸透させる」ことを試みるとするならば、「研究レベル」で取り組まなければなりませんが、日本人はそこにお金を出しません。お金や人材がなければ研究はできませんので、前述したように「なんとなく」というフェーズに終着します。WEB上で流行りが終わった時には何も現場で落とし込めない状態になっていくことが予想されます。つまり「WEB完結型サッカー」の一例になってしまうのです。
③サッカーの全てをサイエンスで説明することが求められる
以上の①/②という段階を踏んでしまうと、欧米の表面上をコピーすることになります。そうなると「サッカーというスポーツはサイエンスだ」、つまり「全てのことを説明できなければならない」という傾向が日本サッカーの空気を支配します。そして、サッカーを簡単に理解することが目的であるはずの「言語化」は、日本人がサッカーを理解することを難しくしていきます。ここから日本人はサッカーを難しく、難しく認識していくようになります。
これが、ものすごく危険なことだと思っています。ここに、日本人が「欧米の表面上」をコピーすることの致命的な欠点を見て取れることが出来ます。
上記した日本人が陥ってしまう危険な段階を理解した上で「科学としてのサッカー」に触れていかなければなりません。
・・・続く