誰も知らないサッカーの本を読んだら…
—— 2018年3月9日、初めての記事が更新されている。あまり覚えていないけど、そうなのだろう。この『芸術としてのサッカー論』を始めたのは、それくらいの時なのだ。
その少し前、リリースをするにあたって同じ様な名前のコンテンツがあっては困ると思い、「芸術としてのサッカー論」と検索をした。すると、ある一冊の本がヒットした。
『新サッカー論 サッカーとアートのカオスな関係』
全く知らない本だった。
私は、本屋に行けば必ずサッカー本コーナーには足を運ぶし、情報も比較的敏感に入れているはずだった。よっぽど昔の本でなければ、日本で出版されたサッカーに関する本は、読むことはなくても「全く知らない」というものはあまりない。ただ、この本に関しては“全く”知らなかった。
■売っていない本
初版は「2010年6月1日」とある。10年近く前の本だった。Amazonで見てみると、どうやらもう新品は市場に出回っていないらしかった。アルゼンチンに居た私は、読みたい本があればKindleで購入する以外選択肢がなく、当然Kindle版がなかった本書を読むのは、しばらく後になってからだった。
数ヶ月後、知り合いがアルゼンチンに来ると聞いた私は、この本を持って来てもらえないかと懇願した。そして、WEBで初めて目にしてから数ヶ月後、ついに地球の裏側で『新サッカー論 サッカーとアートのカオスな関係』と対面することが出来たのだ。
■情報のない著者
期待していた通りの内容だった。サッカーを「芸術」として捉え、なぜ芸術なのかと言われれば「表現」だから、という痛快なスタートを切り、サッカーを「芸術」として、そして「表現行為」の一つとして分析していく様と、それを飾り付ける芸術分野の専門的知識が、私の心を掴んだ。
著者の名前は「三倉克也」とある。本に書かれていたプロフィールは以下の通り。
三倉克也:造形・表現作家。筑波大学大学院博士課程人間総合科学研究科修了。人間(身体)‐作品(表現)‐環境(場)をリンクする理論と実践の研究。主にアート&デザインの領域より「表現」としての表象文化全般を対象化する超域理論研究及び制作、演奏、教育活動を展開。サウンドアート、即興音楽、現代美術、表象文化論、環境芸術論、総合教育論等、複雑系カオス理論を基調にした学際的研究を専門としている
私は、彼が普段何をしているのか気になった。ただ、ネットで検索をしても、Twitterで検索をしてみても、彼の情報は一向に見当たらない。プロフィール写真もなければ、年齢も、現在の職業も、何もかもわからなかった。
■誰か対談したい人いる?
それから数ヶ月経って、私が日本に一時帰国することに決まった時、ある会社の方が私に「誰か対談したい人いる?」と尋ねてきた。私は迷うことなく「三倉克也」の名前をあげた。「でも多分、見つからないと思います」という言葉も忘れなかった。
ただ、彼らは少ない情報の中から「三倉克也」という人物を探してくれた。私はあまり期待していなかったのだが、それからしばらくして、ついに「三倉克也さんと連絡が取れた」という連絡が私の耳に届いたのだった。対談の依頼をしてから、数十日後の出来事だった。
■対談記事公開のお知らせ
近日、『新サッカー論 サッカーとアートのカオスな関係』の著者「三倉克也」さんとの【対談】を『芸術としてのサッカー論』にて公開致します。
サッカーを「芸術」と捉える者同士、私はよりサッカー的な視点から、そして三倉克也さんはより芸術的な視点から、これまであまり語られて来なかったような角度で「サッカーという何か」を再考察しています。「サッカーを議論する」ということの楽しさを感じてもらえるような内容になっています。
ぜひ、公開の日を楽しみにしていて下さい。
河内一馬(@ka_zumakawauchi)
1992年生まれ。サッカー指導者。アルゼンチン指導者協会名誉会長が校長を務める監督養成学校「Escuela Osvaldo Zubeldía」に在籍中。サッカーを"非"科学的な観点から思考する『芸術としてのサッカー論』筆者。NPO法人 love.fútbol Japan 理事。
*
※この対談は『Desafio 株式会社』のご協力の元実現いたしました。代表の和田鮎人さんが、この対談を聞いて感じたこと、またこの対談企画に協力した理由等を、非常に熱く、ものすごく丁寧に書いて下さっています。ぜひ、合わせてご覧下さい。▶︎ttps://note.mu/vamoayuto/n/n8b4d324b3d59