『言語化』と『言葉化』の違いとは——。人生を変えた唯一の本
言語化。よくスポーツ業界でも聞かれるようになった言葉である。それを聞くたびに何かしらの違和感を感じていたので、今回は「言語化とは何か?」というテーマで思考を進めていくことで、その違和感を取り除きたい。
言語化の言語化である。壮大な殴り書き(になる予定)。
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なにかの「言葉(ワード)」が独り歩きして、本来の意味よりもいくらか浅く、安く、薄い姿になってしまうことは、人間界ではよく起こることだ。日本語だけなのか、それとも外国語も同じなのかはわからないが、この「言語化」という言葉もそのうちの一つだと思う。
サッカー選手やスポーツ選手がインタビューで自らのプレーを振り返り、確認し、言葉にしているのを見ることがある。もちろんそれはある意味で必要なことなのかもしれないが、それを見て「言語化がうまい」などと言っている人を見ると「そうだろうか?」と思うことが多い。それに加えて、例えば話をする時に、言葉につまる自分に対して「言語化が下手なんですよね」と自ら言うことにも、違和感がある。なぜか。
自分の感覚を口から発する=言語化
ではないからだ。それはあくまでも頭の中にある感覚的なものを、言葉として、もしくは文字として表出させているだけであり、必ずしもそれを「言語化」という高度なことをしていると受け止めてしまってはいけないと、私は思うのだ。
それは「言語化」というより「言葉化」と呼ぶに相応しいと思う。
では「言語化」とは何か?という壮大なテーマを「言葉化」と比較して考えるとすると、「言語」と「言葉」の違いを考えるのが良さそうである。
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