ソーシャルネットワークからは逃げられない。でも、まだ書くな。
ソーシャルネットワークについて、皆さんはどうお考えでしょうか。僕は、長いこと考えてきました。今も、考えています。
SNSというものが自分に与える影響を直視した時に、それを用いることによって不幸になるなら僕は使わないし、幸せになるのなら、僕は使う。そういうシンプルな線引きをしてきました。
少しずつ時代が進むにつれて、何か、なくてはならないもののようにも見えるし、そうかと思えば、SNSというものが自分を不幸にする象徴のように見えるときも、あります。
今日はある一冊の本を読んだことで、少しこのテーマに関して頭がすっきりしたので、これまでの僕のSNSとの関係性の前提を共有すると共に、ここ数日にした“ある実験”のことを、書いていきたいと思います。
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前提として、僕には社会に訴えたいことや、日本のサッカー界に訴えたいことがあります。その為に、僕はアルゼンチンにきた2年半前から、明確に戦略を持ち、「自分の(リアルな世界に)舞台をつくる」ためのツールとして、主にSNSを使ってきました。なぜなら、僕がどうしてもやりたいことは、水面下で行っていても、勝算が全く見えないからです。
この2年の間にも、SNSやインターネットの「在り方」自体に変化が起きているように思います。そういった、内的な心情と、外的な要素が絶えず変化していく中で、僕は様々な試みをしてきました。
最初は、いつかは逃げるつもりでした。SNSというものを手放して生きる人々への憧れもあったと思います。僕のやりたいことは、リアルの世界にしか存在しないと、そう思い込みたかったのです。
先日、ある一冊の本を読みました。
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