外国人を日本に招くことがサッカー界の発展に繋がらないと断言できる「8」の根拠【前編】
ハリル土壇場解任の中で、急遽言い訳として利用された「日本人監督でなければならない」という発言は論外として、「代表監督が日本人監督でなければならない理由」を正しく理解していない人が多いと感じます。その理由は決して単純なものではありません。私が数年間かけて思考した結果を書きたいと思います。内容の価値は保証します。
※この記事内における全ての発言に差別的意図は一切含まれておりません
根拠①:過去の事実(前提)
過去W杯を制した国の全てが自国監督であり、ベスト16に進出した国の72.3%が、ベスト8に進出した国では78.6%、ベスト4になると90%を超える国が自国監督であるという事実(直近7大会)は『日本にナーゲルスマンが居ない理由』の中で既に触れました。2050年にW杯優勝を目標に掲げている日本ですが、前提として「いきなり(W杯でトップに立てるほどの)優秀な監督は出てこない」ということを理解している必要があり、32年後に優勝を掲げるのであれば、少なくともそれまでに4大会程度の「日本人監督で戦った結果・反省点」をデータとして集めておく必要があります。
■"外国人から学ぶ"の認識違い
「まだ日本人監督を起用するのは早い。外国人監督から学ぶべきだ。」という意見がありますが、私はそうは思いません。まず前提として外国人監督から学ぶべきなのは当然です。いくら日本が世界一になろうともやめてはいけません。しかし「外国人監督を日本に招聘する=外国人から学べる」という認識は間違っています。これまで幾度となく外国人監督を招聘し「学んだ」末に行った対応が、今回のハリルホジッチ解任劇です。まだ早い、まだ早いと言っている間に2050年はやってきます。
根拠②:日本人の癖(失敗パターン)
この認識の背景には、日本社会に根付いている「改革を外国人に委ねる癖」があると私は考えます。日本では、何か改革進める際に、必ずそれに精通した外国人を日本に招きます。そこから見えてくる「日本人の失敗パターン」は、日本サッカーの発展において非常に価値のある材料です。
■戦時における外国人教師
私は「日本サッカーの歴史」と「日本の戦史」の特徴が完全に一致することを知っています。戦争における敗戦を「失敗」として捉えるのであれば、日本サッカーは戦史から学び、同じ失敗を繰り返さないように努力するべきですが、残念ながら同じことを繰り返しています。
例えば、日本において非常に重要な意味を持つ日露戦争での勝戦は、ドイツ人のメッケル(上写真)という軍人が深く関わっていました。
明治になってしばらく、日本に外国人教師が大勢きましたね。あれは高給を払って、一流の人材を連れてきたんですよ。陸軍大学校で教えたドイツ人のメッケルもその一人です。(中略)いい加減だった海軍兵学校の教育が立ち直るのは、明治六年にダグラスが来てからです。一緒に来日したイギリス海軍顧問団からは、「この学校には将来、将校たる資質のあるものはいない」という声が上がったくらいひどい有様だったのをビシビシ鍛えて、日露戦争では有能な中堅指揮官を輩出しました。ダグラスは日本にサッカーを教えたことでも知られています。
『徹底検証 日清・日露戦争』半藤一利ほか より
■急成長のその後
日本の軍事改革には、上記した様に「外国人教師」の存在がありました。この頃から「パターン」は既に存在しています。その結果どうなったか。
①"急"成長を遂げた:日清戦争から日露戦争開戦にかけての10年間で軍事力の強化を図り、海軍力に至っては日清戦争時世界32位だった日本が、日露戦争時には5位まで順位を上げています。
②日露戦争に勝利した:日清戦争勝利後の軍事力強化の結果、小国日本が大国ロシアに勝利することになります(当時の世界情勢では考えられなかった)。しかしこの大勝利は、のちの太平洋戦争において非常にマイナスの意味を持つことになります。
③太平洋戦争(第二次世界大戦)に敗戦した:日露戦争のあと、日本が不可解なプロセスを経て無条件降伏をしていったことは周知の事実です。
この①/②/③のプロセスには、現代の日本社会に一致する点が多くあります。サッカー界も例外ではありません。
■日本人の失敗パターン
この流れは、日本人がこれまで多分野で繰り返してきた「失敗パターン」と言えます。その後戦争は繰り返されなかったですが、GHQの憲法改正から始まった日本という国は、その後あらゆる分野で同じパターンを繰り返すことになります。
外国人(メッケル他)に改革を委ねることで急成長を遂げ、ジャイアントキリング(日露戦争)を経験したのち、過去の成功に溺れ成長が停滞=後退する(太平洋戦争敗戦)。
ここから見えることは以下の3つです。
・外国人を招き改革を進めた場合最終的にマイナスの効果をもたらす
・日本における"急"成長の危険性
・大勝利後の停滞=衰退
この3つを頭に入れておいてください。
■日本サッカーの失敗パターン
特に日本サッカーではそれが顕著です。日本サッカー協会の前身、大日本蹴球協会がイギリスの外交官ウィリアム・ヘーグの関与によって創設されたところから、日本サッカーの歴史は幕を開けました。
①代表監督:前述している通りです。例えばアギーレ監督解任後には、候補者の中に一人も日本人の名前が上げられませんでした。
②Jリーグ:Jリーグ開幕後の日本サッカーの急成長は、外国からスター選手や監督を招いたことにあります。現在でもJリーグクラブにおける改革や再建の際には外国人を招く選択肢を取ることが多いです。
③育成スクール:日本には「海外クラブ」の名前がついたスクールが多く存在します。日本の育成改革のために海外のメソッドを持ち込むことが目的だと考えられますが、そこでは外国人コーチが招かれ、日本の子供たちを指導しています。
④JFA:外国の方法論を持ち込むことは、日本にそれに精通した人物を招くことになります。例えば以下の業務提携などはその典型です。
その結果、日本サッカーはこれまでどのような歴史を踏んできたのでしょうか?Jリーグ開幕から日本サッカーの急成長、そして現在に至るまでを先ほどの図に当てはめてみます。
Jリーグ開幕後の日本サッカーは、世界に賞賛されるほどの急成長を遂げています。それは誇るべきなのかもしれませんが、残念ながら日本の「失敗パターン」と一致します。例えば今回のハリルホジッチ解任騒動の中でも、「マイアミの奇跡」や「トルシエ監督」の名前が多く上がっていたことを考えると、未だにそれらのことが日本サッカーに影響を与え続けていることがわかります。「過去の成功に縛られ方法論を変えられない」というのは日本人に共通する一つの欠点です。
■ラグビー
サッカー界だけではありません。例えばラグビーです。エディ・ジョーンズという名将を日本に招聘し、ご存知の通り日本ラグビーは急成長を遂げました。結果を残していくに連れて日本のメディアでも取り上げられることが多くなり、「南アフリカに勝利」というラグビー史に残る、もしくはスポーツ史に残るジャイアントキリングを起こします。
私は専門ではないのでラグビーのことは詳しくはわかりませんが、過去のパターンから行けば、エディが去った今、これから日本ラグビーは停滞=衰退することが予想されます。
■日本経済
日本経済も同様の流れをたどっています。日本サッカーと比べると以下のようになります。
急に成長を遂げて、その後停滞するという失敗のパターンです。高度経済成長はサッカーの急激な発展と同様に日本が誇れるものですが、その後の状況はあまり良いものとは言えません。高度経済成長における「無理」が、今になって各企業の不正や改ざんへと繋がり、未だに当時の働き方が抜けません。
■戦時と日本サッカーの唯一の違い
よく「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えてあげなければならない」という言葉を聞きます。私もその通りだと思います。ただ私たちの場合、外国人が魚の釣り方を教えてくれたとしても、それを「ただ魚を与えられている」と勘違いしてしまうのでしょうか?釣り方を教えてもらっていると同時に後継者を育てようとはせず、外国人が釣った魚を自分たちで釣ったと勘違いしてしまう。そして外国人が居なくなった時には何も残っていないのです。外国の池にいる魚と、日本の池にいる魚の違いにも気付かずに。
先ほど引用した文献の中には、こんなことも書かれています。
優秀な人材を欧米に留学させて後継者を養成すると、一斉に交替させた。明治23年ごろまでにほとんど日本人に置き換えていました。東大で英文学を教えていたハーンも、夏目漱石に代わりました。ハーンは怒っていましたが。
戦時と日本サッカーの唯一の違いはここです。
根拠③:外国人から学ぶ方法
このような「癖」が日本社会や日本サッカー界から抜けない背景には、「どうすれば外国人から学ぶことが出来るか?」という点について間違った認識があります。
【現在の方法①】は失敗の典型的なパターンです。外国人が日本に変化をもたらしたところで、実際は何も学べていなかった…という事実は先ほどから示している通りです。昨今の日本サッカー界においては【現在の方法②】が増えてきました。ただこれでは影響力が非常に薄く、日本全体が「学んだ」ことにはなりません。
私は「失敗パターン」を日本サッカーが繰り返さないためには【正しい方法】を取らなければならないと考えます。私たちは、海外から人を招くのではなく、自ら足を運ばなければなりません。サッカーに関して言えば、現場、つまり「ピッチ」で起きていることが全てです。海外に足を運ぶ姿勢を保ちつつ、日本人が日本人としてそれを消化し「ピッチ」で表現する。それが「学ぶ」ということの本来の姿です。日本サッカーはこの「失敗のパターン」を認識し、短期的な結果ではなく長期的な結果を求めるべきです。
根拠④:外国人を招いて成長する条件
しかし、外国人を招いた結果"急"成長をしているという一つの事実はあります。そこにすがってしまう訳ですから、そこへの検証が必要です。急成長を遂げるには、私は次にあげる「外国人を招いて成長する条件」を一つでも満たしている必要があると考えます。
①初期段階であること:何か改革を進める際の初期段階であること、つまり「右も左もわからない状態」が1つ目の条件です。これは日本サッカーで言えば、初期段階で日本サッカーの父と呼ばれるデットマール・クラマーを招聘したのは正しい判断だったと思います。初期段階「右も左もわからない状態」から自分たちだけで考えるよりも、明らかに有効な方法です。初期段階には「学ぶ姿勢」が前提にあります。
②危機感の存在:受け身の姿勢を避け組織が成長していく為には「危機感」という絶対条件があります。言わずもがな、戦時の日本には「危機感」が存在しています。生死に関わることですので当然ですが、当時軍事予算10倍・常備兵力4倍の大国ロシアとの戦いを前に「危機感」は相当なものだったでしょう。
③外国人側の利点:外国人が別の国に指導に行く理由は、その人(その国)に利点があるからです。例えば日本の国際化のきっかけとなった明治維新ですが、そこには黒船来航という出来事が深く関わっていました。アメリカが日本人に指導をした(圧力をかけた)のは、当然アジア市場への進出などの利点が存在していたからです。戦時の外国人講師や、GHQの憲法改正も似た状況です。「外国人側の利点」があるかないかというのは非常に重要なポイントです。日本からアジア諸国にサッカー指導者を派遣している理由も、日本側の利点にあります。
④言葉(文化)の一致:そして最も重要な点はここにあります。詳しくは後述しますが、例えばラグビーに関して当てはめると、エディ・ジョーンズは日本という国に深く関わりがあり(妻が日本人、本人はクォーター)、日本文化を深く理解していたからこそあれだけの成功を収めたことは間違いありません。
■今の日本サッカーは条件を満たしているか?
今の日本サッカーは発展の初期段階ではなく、「右も左もわからない状態」ではありませんので①の条件は満たしていません。また、今の日本サッカーには危機感が存在しません。「ある程度」の結果を残していることと、これ以上発展しなくても誰も困らないことが原因です。よって②の条件も満たしていません。③に関しては「利点」を作り出せれば別ですが、外国人が今後私たちのサッカーを発展させることに利点があるとは考えづらいです。あるとすればお金くらいでしょうか。④に関しては後述します。
この4つの条件を一つも満たしていないことが「今後日本サッカーで外国人を日本に招いてもあまり意味はないのではないか?」という疑問につながり、私が「代表監督は日本人でなければならない」と主張する根拠の1つです。
根拠⑤:宗教と言語
ここから書く点が最も重要な根拠になります。
・・・
続く▼
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