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裏紙が無くなってきとる

今2022年ですが、私は書くのが好きです。毎日書いてます。それも、絵ではなく文字です。

人が書く速度って、速記士でもない限りそんなに変わらないと思うんですね。パソコンでタイピングが速い人と比べたらだいぶ遅いと思います。

私はこの”遅さ”が大事だと思っていて、一文字一文字を、何というか噛み締めるんですね。

手紙なんてまさにそうで、間違えるわけにはいかないし、構成を前後に置き換えることもできない。全部一筆書きの一発勝負。

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私は母親が書道家なのですが、毎日文字(書)を書く姿を見てきたからその影響が脈々と受け継がれているんだと思います。

また書いた文字や文章を眺めて考えるのが心地いいんですよね。深く潜っているような感覚です。

最近は「熟考」にハマっているんですが、私は頭の中が壊滅的にぐっちゃぐちゃなので(だからいつも何喋っているのかわからなくなるのだ即興のおはなしってあれはなんだ)、文字という見える形にしないと永遠に五大陸を飛び回ります。

ほいでここから問題が発覚しました。

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裏紙が無くなってきました。これは私にとってはどえらいことです。インド人がカレーを食べなくなるようなものです。

私は文字が書ければ何だっていいのですが、紙が無ければ完全にお手上げです。インド人に例えると、皿はあるのにカレーがないようなものです。

大学時代のプリントや、流しでの過去の楽曲リストなどあらゆる裏紙が我が家には存在していたのですが、書きすぎたんだろうかいよいよ干からびてきました。

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経費で紙を買えばいいと言われればそれまでですが、裏紙で成り立つこの日々に、わざわざ表も裏も書けるそんな性能のいい贅沢な紙をお金を払ってまで買うのかと考えると、もう少し何とかならんものかと思ってしまうのです。

なんかどっか行ったら裏紙なんて星の数ほどありそうですけどね。(そんな美しいものだったのか)家でお茶を作ればいいのに、コンビニで買うような感覚です。

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もし裏紙をお持ちで余っとる方がおりましたら、ぜひともよろしくお願い致します。お会いした時に欲しいです。

今日は2022年3月31日、まさに2021年度最後の切望にふさわしいお話となりました。裏紙を制するものは、ペンだこを制す。

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稲田一馬(Kazuma Inada)
いつも読んでくれてありがとうございます!これからも一緒に遊びましょうね!!