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【新曲作り】闇に包まれていた数日。しかし、光無き世を闇とは呼ばない

流しを始めて1年8ヶ月。
当時は流し一本槍で活動を突き進む未来を描いていました。

しかし本当にありがたいことに、ワンマンライブは満員。
約1ヶ月経った今でも皆さまの記憶に刻まれており、呼び戻すかの如く、流しなのに私の歌をリクエスト頂く機会もかなり増えました。

特にご支持頂いているが「一本道」
ここ4〜5年の間に生まれた曲が集うNew Album「PALO」の中で、この曲のみ生後13年。いわば古株です。

鮮度が落ちても言い訳できない時の経過など、一気に吹き飛ばしているその姿。
嘆きに包まれた過去の自分をも受け入れられる歓びを、今日も感謝として心に染み、活動の原動力とさせて頂いています。本当にありがとうございます!

ところで今日は何を伝えたいかというと、最近強く感じることがひとつありまして。何度も書いているかもしれませんが、やっぱり私は流し一本槍にはなれないってことですね。

以前、黒い眼と赤い眼というお話をさせて頂きました。
黒い眼というのは、自分より相手。皆さんが楽しんで頂けるものを提供させて頂くスタイル。音楽で言えば流しがまさにそうですね。

一方、赤い眼というのは、過去の名曲もいいけど、お前(一馬)の歌が聴きたい。お前の言葉と情熱を心に突き刺してほしい。
深さ、そして熱い想いを伝えるため、相手より自分。自分のすべてを捧げるよう演奏させて頂くスタイル。音楽で言えばライブですね。

つまり、この赤い眼の割合が明瞭に増えてきたというわけです。なんてありがたい。そしておそらく、同時に求められているのは「もっと新しい、おもしろい曲を作ってほしい」ということ。

曲作りが苦手だと唱え、避けてきた過去もあります。
正直、未だに曲作りが得意とは思っていません。

だけど、苦しみつつも挑み、生まれてきた曲が多くの方に愛される喜びは、流しではまず得られない。そして何より曲がとても愛しい。

過去の苦労をすべて忘れてしまうというこの不完全な機能こそが、正解不正解などの議論をすべて吹っ飛ばす、人間の本当の素敵さなのかもしれないですね。

ここ数日、闇に包まれていた「仏像第三楽章」。
昨夜未明、ようやく一筋の光が見えました。
そして気付きました。光無き世を闇とは呼ばない。

まだまだ油断はできない。残り1ヶ月弱。挑み続けます。
運慶と快慶が重圧に包まれながらも、戦い続け、創り上げた金剛力士像のように。

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今日は昭和町で昼流し!!



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稲田一馬(Kazuma Inada)
これからもぶっ飛ばします。良かったらぜひ!