夢中になれる何かをもう一度(自分の人生のあり方を再考する)
おはようございます。
皆さん いかがお過ごしでしょうか。
外は晴れていても、ボクの心はぼんやりと霧がかった感じがして今ひとつ気分が上がらない。そんな気持ちがずーっと心の内側に張りついてような気がして、行動する意欲が全然出てこないのは何故かと、内心疑問を抱きながら日々を過ごしている。
打ち込めるものや夢中になれるもの、目標を失った時人は生きる意欲さえ失ってしまう。※これは引退したスポーツ選手や定年退職した人々によくある例である。
ここ最近は個人でやってた仕事の8割がなくなり、殆ど案件も取らなくなった。単価が安いのと、やればやるほど赤字であることに嫌気がさした。
特に苦痛だったのは他人が撮った動画を編集しては修正指示される度にストレスを感じていたことや、純粋につまらなすぎること。
そのほかに解説系や機械音声を使った動画、リール動画が一番嫌い。
不自然すぎて且つ見れば見るほど思考能力が低下しそうなくらい、ホンマに見るに耐えない。まるで洗脳されてるかのような不愉快さを感じた。
今後は自らが撮影した動画をメインに編集しようと本気で思った。
自分が直接撮影に携わることや互いに現場で話し合ったり意思疎通ができる環境で撮影を行いたい。どうしてもオンライン上だと文字のやり取りが多くなり、書いてある内容も意味合いがわかりにくかったり認識の相違が出てしまうこともあるので、この辺はクライアントと積極的に話し合うことがとても大切である。
※例外としてインタビューやドキュメンタリーほか内容次第ではまた請け負う場合もある。先のことなんてわからない。
運動不足解消も兼ねて走りまくっていたUber Eatsも同様に需要はどんどん減っていき、一件あたり320円という低単価な案件が増えてしまい、次第にモチベーションは下がる一方だった。
さらに追い打ちをかけたのが、今持ってるiPhone SE2のバッテリー減りが異常に早くなったことだ。今年3月にバッテリーを交換したものの、電池残量70%だったのが一気に画面が真っ暗→勝手に再起動が行われ→僅か5%になったりなど動作不安定な現象が起きるようになった。
交換したのが非純正だったのが原因かもしれない。安かったからあと1〜2年持つだろうと考えてたらまさか1年も持たない結果になるとは。
※我ながら痛恨のミスをしてしまった。
本当なら来春発売予定のSE4(USB-C搭載)が出たタイミングで買い替えようかと考えてたけど、それまで持つ保証もなく、かといって15or16を買うのも非常に億劫である。次回のSE4と比べたら最低でも4~5万の差があるわけで、スマホにそこまで投資する価値はあるんだろうかと考えながら、ガチで今iPhoneを変えようか本気で悩む。どうせ変えるならUSB-C搭載モデルがいいし、アンドロイドは今更変えるつもりもなく、使い慣れてるという理由も当然あるけど、やっぱり利便性と今持ってるMacBookとの互換性も兼ねてiPhoneが良い。※というか本音でいえばスマホよりもPCに投資する方を選ぶ。生産性や作業効率ほか、圧倒的にPCが一番良い。
10月あたりから本当にうまく行かないというか、未来に対し、自分の人生において何を糧に生きていけば良いのか。本気で打ち込めるものや夢中になれる何かを失ったような、そんな心境である。
今までは旅をする直前はワクワク感が止まらなかったし、現地でサバイバルな旅をしてる中でどうやって先へ進むか色々考えてた時は余計なことを考えなくて済む・今を全力で楽しむといった感じで進み続けていた。
Youtubeに関しても映像表現に力を入れていたり、なるべくテロップは付け足さない、ミニシアター風の映像感で道中訪れた場所の景色を写し、世界観に広がりをもたせるためにあらゆる角度から撮り続けていた。撮影をしてる時は楽しかったし、編集作業も苦にはならなかった。
それこそ「Into the wild」や「ノマドランド」「コーヒーをめぐる冒険」「深夜特急」のような映画&ドラマが好き。撮影と編集をする身としては学ぶことが多く、リアリティを重視する映像表現に少なからず影響を受けたといっても過言ではない。
逆にTV番組のように過剰なまでのフルテロップや猥雑な効果音、事細かく表示される解説やその他多すぎる情報があまり好きではなく、思考停止状態または自ら理解することを放棄した視聴者向けに作られてるTV番組側の編集技法がどうも好きになれない。様々な意見はあるかもだけど、恐らく視聴者による誤解を招くことがないように番組側で細部に至って配慮し続けた結果、今のような編集技法が定着したのかもしれない。
※あくまでもボクの印象である。
その影響もあってか日本の動画配信者さん達の動画を見ると何だかTVやインフルエンサーの真似事をしてるような感じというか、常に画面端にタイトルや地名などを表示するやり方が日本の番組を意識してるような、そんな印象である。
どうしても文字を追ってばかりになるというか、それらの映像表現がどうしても好きになれず数字を伸ばしてる人々と同じやり方を再現してばかりいたら自分まで同じようなやり方でしかできなくなる。染まりたくないというかオリジナリティを大事にしたいというのが本音でもある。
皆と同じでいたい&他の人々がそうしてるから自分も同じようなやり方を選んだほうがいい、まるでコピー&ペーストで貼り付けてるようなものばかりがトップ画面に所狭しと並ぶ光景に思わず鳥肌がたった。
更に言えばShort動画なんかも倍速風な話し方をするものだったり、常に生き急いでる感の漂う動画を目にした時の不快感がハンパなかった。これらの動画を作りたいとも思わないし、編集を行う際に「これらの動画を自分の実績にしたくない」という思いが芽生え、生理的に受け付けなくなったのもあり、次第に動画編集代行もやらなくなった。作業してる時の自分が全然楽しくないと言うか、むしろ心ここにあらずといった心境だった。
今までやってきたことが今ひとつ進展しないどころか、また振り出しに戻ってしまった。言い換えれば色々やってみた中でこれは楽しいけどこれは合わなかった、今までやってたことは自分に合ってなかったんだと割り切るしかない。動画編集は好きだけど、これを自分の仕事にするべきではないと感じた。
アレコレ考えたところで、うずくまってたところで何も変わらないし誰も助けてはくれない。いつの時代も行動し続ける人こそが常にステップアップしてるわけで、他者目線でも常にうつ伏せ状態な人よりは行動してる人を応援したくなる。ボクだって誰もが滅多にやらないことにチャレンジしてる人や行動してる人を応援したくなるし、何かを差し入れしたくなる。
以前、市内でヒッチハイクをしていた大学生も一人で懸命に待ち続けている様子や自分の好奇心に従って行動し続けるその姿に感銘を受けたというか、久々にボクも旅がしたいという外部からの影響を受けたこともあった。
守りに入ってたらどんどん保守的な思考へと移り変わり、次第に新しいことに対し毛嫌いする人々と同じ生き方に染まってしまうかもしれない。
それこそ「井の中の蛙 大海を知らず」ということわざのように、
狭い空間と角度でしか生きられず、多角的に物事を捉えることのできない蛙にだけはなりたくない。
視野は狭く・価値観は固定・無知を許し偏見を生むといった、常に閉鎖的な空間でしか生きられない、寛容さを失った人々と同類になってしまう。それだけは何としても避けたい。
色々と追い打ちがかけられたような心境で
それも出費が次から次へと増える。
財布が氷河期に突入(T_T)……
いっそのこと勢いよく新しいiPhoneを買って、そのあと買ったからかには何が何でも払った分の費用を回収しないといけないといったマインドに切り替わるようになるかもしれないし、もっと全力でやるように自分を追い込まないとこの先何一つ変わらないかもしれない。
中途半端に保守的な状態でいたら前へ進めない、変化を起こしたいなら動くしかない。そう、1センチでも動くしかないんだ。
noteとYoutubeも同様、自分の媒体を伸ばしたい。
たとえ時間がかかっても、自分のペースで伸ばしていけばいい。
誰かの背中を押すことであったり、新しい何かにチャレンジするといった些細なキッカケを与えれるような人間でありたい。
気がついたらもう昼か。
とりあえず何か食べよう。
何か美味しいものが食べたい。
というわけでこの辺で終わりにします。
次回 お会いしましょう。
ありがとうございました。