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Pay it Forward

僕がまだ高校生の時、誰しもが「あいつはやさしい奴だ」と認める男がいた。

ひねくれ者の僕でさえもそいつのことがすごく好きで、何度も「良い奴」だと思ったことはあるが、これまで決して「やさしい」と思ったことは無い。

ひょっとしたら僕が天邪鬼なだけなのかもしれないが、僕が思うに、それは、僕がそのときから微かに自分なりの「やさしさ」の定義を捉え、そして今、この瞬間に明確に定義できている「やさしさ」とは全く以て異質なものだったからだろう。



はじめに

昨日は『キングダム』の中でも僕がかなり好きなお話を紹介し、僕の考える「やさしさ」の片鱗を軽く見せたところで終わりました。

今日も、まずは同じように『ペイ・フォワード』の概要を紹介した上で、後半に「やさしさ」について深く言及していきます。

そして、ここでも強く念を押しておきたいことが一つ。

「やさしさ」の定義は人それぞれで、自分の思う「やさしさ」を貫けばいいのです。
しかし、貫くとは言っても、頑固になるとかではなく、一本の幹を大切にしながら他者の「やさしさ」の要素を上手く取り込んでいく、アップデートが必要なのではないでしょうか。

果たしてそのアップデートが終わりを迎えるときが来るのかは分かりませんが、僕は死ぬその時までアップデートしていく所存であります。

ひょっとすると、「やさしさ」って人間だけのものかもしれませんから。



トレバ-

僕が『ペイ・フォワード』を知ったきっかけは、数か月前に読了した山口周さんの著作『世界は贈与でできている』の中でこの映画が紹介されいたためです。

「贈与」というキーワードを理解することは僕からすればとても難しいものではありましたが、今でも僕の心の中に深く突き刺さっているようで、もう決して抜けることは無いでしょう。

どうやら、山口周さんの文章にはかえしが付いているようですね。

さて、その「贈与」を説明する一つの例として紹介された『ペイ・フォワード』ですが、僕はそこで説明された概要に満足してしまって映画を見るまでには至っていませんでした。

僕がそもそも映画が苦手ということもありますし、AmazonPrimeで観れなかったということもあります。

しかし、とあるきっかけがあってAmazonでレンタルして観ることに。

とても面白い映画なのですが、『世界は贈与でできている』を読んだ後にこれを観ると、なかなか頭の中が混乱してしまうので、『ペイ・フォワード』→『世界は贈与でできている』→『ペイ・フォワード』という順番で観ることをお勧めします。


この物語を本当に簡単に説明すると、トレバ-という中学生の男の子が、「受けた恩恵を3人の人に渡す」というアイデアで世の中を良くしようとするお話です。

とだけ言ってもこのnoteは一つも面白くなりませんから、ちゃんと細かく説明していきます。
しかし、昨日みたく長くなりすぎないように細かく、簡潔に。

それでは、いきますよ。


トレバ-の両親は二人ともアルコール依存症で、父親はどこにいるかすら分かりません。
さらに、母親は家計を支えるための仕事で家にほとんどいることができず、トレバ-は多くの時間を1人で過ごしています。

どうやら学校の生活にも満足していないようです。

そんなトレバ-ですが、中学に上がった時にある課題を出されました。

「世界を変える方法を考え、それを実行してみよう」というもので、多くの学生はブーイングです。

まあ、僕も中学生の時にこんな課題を出されていたら、しょうもない考えしか思い浮かんでいなかったはずです。

しかし、トレバ-はとある画期的なアイデアを思い付きます。

それが、昨日の投稿の『キングダム』の紫夏の話と共通する、「恩恵は次の者へ」です。
実際には、トレバ-は「善い行いを受けたら、他の3人に善い行いを渡す」というルールを定めているのですが、本質は変わりません。
これについては後述します。


トレバ-はホームレスにご飯を与え、宿を与え、最終的に職を与えることにも成功します。
そして、その上でそのホームレスに「Pay it Forward(次へ渡せ)」をお願いします。

もし本当に成功すれば、トレバ-→3人→9人→27人→81人→243人→・・・
と、善い行いが永遠に繋がっていきます。

トレバ-はもう二人にも善い行いをし、自分が出発点となった善い行いが広がっていくのを楽しみにしますが、全くそんな気配もなく、失敗に終わったと肩を落とします。

『世界は贈与でできている』によれば、ここからが『ペイ・フォワード』の大事なところなのですが、今回の僕の言いたいことからはズレるので、続きはみなさまの知識欲にお任せしたいと思います。

なんせ、もう土曜日の深夜になっちゃってますから。
「続きは次の日に」という約束は守れませんでした。



周り

冒頭で登場した僕の友人。
なぜ、僕は彼のことをやさしいと思わないのでしょう。
いや、寧ろ俺の方がやさしいのではないか、と思ってしまうのはなぜなのでしょうか。

そもそも、その友人が皆から「あいつはやさしいやつだ」と言われる理由から簡単にご説明しましょう。

彼が怒ったところを誰一人として、見たことが無いのです。
人の悪口も言わないし、どれだけ嫌なことをされても、ずっとニコニコしているのです。

そりゃあ、やさしいと思っちゃいますよね。


念を押しておきますが、僕は彼のことが大好きです。
しかし、彼に「やさしさ」はありません。

それは、人のことを想っていないから


先述の通り、彼はどんな嫌なことをされてもずっとニコニコしています。
嫌ないじり方をされても、悪質ないたずらをされても、絶えずニコニコ。

全く以て悪いことではありませんが、それでは何も変わりません。

彼はよく言います。
「だってその方が楽じゃん」と。


そんなとき、僕は不安で不安で仕方がありません。

自分が注意しなかったら、さらに被害者が増えてしまうのではないか。
自分が注意しなかったら、こいつはいつか皆に嫌われてしまうのではないか。

僕は、ときたま「このまま全員から嫌われろ」と思いながら受け流すこともあるクソ野郎なので言えたもんではないですが、そうやって「自分以外の人間のその先を想像してあげることができる」のが人間なのではないでしょうか。

そして、それが「やさしさ」なのではないでしょうか。


先日の記事で紹介した『キングダム』の話だって、紫夏は自分の人生と同じ、いや寧ろ多いくらいの熱量で嬴政の先の人生を想いますし、『ペイ・フォワード』のトレバ-だって、自分の生きるクソな世界を素晴らしいものにするために奔走します。

その観点から言えば、僕の友人は「自分が楽な方を選んでいる」という理由で、僕の中ではやさしくはならないのです。
そこの空気を悪くしないことを考えてはいるので、良い奴ではあると思いますが、僕からすればそれさえも逃げているようにしか見えないのです。

今自分の目の前で燃えている小さな炎をなんとか消しておくか、そのまま放っておいて自分のいないところで火事になることを祈るか、ということなのではないでしょうか。

僕は、前者を率先してできる人がやさしいと感じます。

ひょっとしたら、とやかく言いたい僕が自分の行為を正当化するためにこう言っているだけなのかもしれないですが(笑)



おわりに

何度も何度も言っているように、人には人の「やさしさ」があります。

僕のに共感したって、共感しなくたっていいのです。

この僕のnoteをきっかけに、友人や家族、恋人や子どもと「やさしさ」についての話をしてみることで、よりその人への理解が深まりますし、「やさしさ」のアップデートもできます。
それが生まれれば、僕の中でこれ以上に嬉しいことはありません。

「いいね」以上の価値がそこにはあると思っています。

あ、もう一つ、皆に道を譲り合う精神が生まれることも嬉しくて仕方がありませんね。


当初の予定よりもかなり長くなってしまいましたが、ひとまず今週分はここまでということで、また来週お会いしましょう。

全く書く内容は思いついていませんが、また一日一日を大切に過ごしていけば、自ずと見つかるはずだと僕の経験がそう教えてくれています。

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