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Lv.5の初心者を襲った山の恐怖(Part2)

はじめに

さて、続き。
前回のを読まれてない方は是非読んでみて下さいね。

前回は僕たちが登りの中盤に差し掛かったところで、ある事件が起こったという情報だけを残して終わりました。
なんて次回のnoteが楽しみになる次回予告だったことでしょう。


熊と遭遇したことは、あくまでも僕の夢の話だと先述しましたね。
それでは、何が起こったのか。


道を間違えたのです。


「ん?ああ、道を間違えただけか」
と思われた方。

一度頭を叩かせていただいてもよろしいですか?

そう凄んでしまうぐらいに、道を間違えてしまった後の僕たち2人は恐ろしい体験をしたのです。
それは、調子に乗っていた初心者2人に、山の恐ろしさというものを「山」ご本人が直々に教えてくれたと言っても過言ではありません。


道を失う

基本は僕がたけるの前を歩いていました。
別に、僕の方が体力があるとか、僕の方が正しい山の登り方を知っているとか、そんなのがあるわけでもありません。
たけるの方が前に行って先導してくれることもありました。
ただ、気づいたら前を歩いていることが多かった、みたいなことでしょう。
思い返せば、数人で歩いているときも、大体僕は先頭にいます。
きっとそういう性格なんでしょう。

だからこそ、後ろからマイペースについてくるようなタイプにも憧れるんですけどね。



しかし、僕らはそんな僕のどうでもいい性格のせいで、散々な目に遭うことになるのです。



初めての看板が出てきて自分たちの現在地に衝撃を受けてから、またしばらく歩いた頃、そしてもう既に半分は過ぎたのではないかと思っていた頃、なかなかの角度の斜面が目の前に現れました。
勾配に関してはそれまでも同じくらいのものはいくつか登ってきてはいたのですが、足元の環境が、難易度が「初心者向け」から「中級者・上級者向け」に変わったのではないかと思うくらいに、明らかに悪くなったのです。

それまでは足元に隅々まで散りばめられている乾いた落ち葉で足を滑らせそうになったり、所々にボコボコと浮き出た木の根を足掛かりにしないと安定して進めないような道もあったりはしました。
しかし、その斜面の足場は、岩に足を引っ掛けようとしても、その岩が地面ごと崩れて落ちてしまうし、枝に掴まって自分の体を引っ張り上げようとしても、その枝ごと自分も落ちてしまう、「これをどう登れって言うんだ?」と山に問い詰めてやりたくなるほど、足掛かりが一切ないものになったのです。

もちろん、たけると「あれ?これ、道間違ってるんじゃね?」という話にもなりましたが、なぜか先を行く僕には、アイシールド21の主人公・小早川瀬那ばりに僕たち2人を導く道がはっきりと見えてしまっていたのです。

そして、「道が合ってるかどうかじゃない。俺らが行く道が正しい道なんだ!」なんて糞味噌なことを言い、文字通り這いつくばりながら登っていきました。


山の神

ひとまず2人とも安全な場所までたどり着いところで休憩をしていると、後ろから人影が見えてきました。

その人こそ、「山の神」です。
「今から山登りをしますよ」と服装が訴えかけてくるようにアウトドア製品に身を包まれた40代くらいの男性。どこのブランドのものだったかは確認できませんでしたが、全身黒っぽい印象だったのでアークテリクス辺りでしょう。
羨ましく思う気持ちもありますが、やっぱり山登りといえばミリタリーアイテムでしょうよ!

その男性は、僕が写真を撮ったり、たけるが自分の水筒の中身をキンキンに冷えた川の水に入れ替えようとした挙句、ちっちゃなゴミがたくさん入った嫌なくらいに冷たい水しか水筒に入ってこなくなって、ただ貴重な水分を捨てた人になったりしていたとき、つまり登山の途中でおちゃらけてるときに、必ず僕らに追いついてくるのです。

「俺らはこれからも遅いペースで登っていくだろうから、抜いてくれた方が良いよな〜」なんて思いながら、僕らもまた登り始め、数分後後ろを振り返るとその「山の神」は姿を消しています。

そして、また僕らが休憩している時などに追いついて、またまた姿を消すのです。
そんなことが2回ほどあった後、たけるが「あの人は山の神かもしれない」なんて馬鹿なことを言い出したことがきっかけで、僕らは彼のことを「山の神」と呼ぶようになりました。

そして、話は戻り、僕らが間違った道(まだ道を間違えたと100%確信しているわけではない)のとりあえず安全な場所で休憩しているその時、山の神が僕らの前(正確には後ろだけど)に姿を表したのです。

そして、またすぐに姿を消しました。
そう、彼は僕らが選んだ道ではなく、緩やかで足場も安定した正しい道がある左方向に曲がっていったのです。

前を歩いていた僕は少しばかり責任を感じていたので、山の神が僕らと同じ道を来ていることに気づいた瞬間、「山の神が来たんだから、やっぱりこの道であっていたんだ!」と、心の中でバンザイをしていたのですが、その天高く伸ばした腕の上からマリオのドッスンが落ちてきたかのように、僕は見事に裏切られたのです。


ミッション1

さて、完全に道を間違えたことを確信した僕たち2人。
いくらLv.5とLv.8の山登り初心者2人組だと言っても、社会的に見ればもう立派な大人の男2人組です。
自分たちの置かれた状況を冷静に判断し、今登ってきた足場の悪い斜面を下るよりも、もう少し上に登りながら正しいルートに合流した方が安全なのではないか、と2人の意見が合致したため、再度もう少し足場の悪い斜面を登ることにします。

それからの僕たちは、もし客観的に僕らを見る人たちがいたのであれば、あの懐かしい「ファイトー!イッパーーーツ!」のCMを不覚にも思い出してしまうほどのClimbingをしていたことでしょう。



ある程度まで登り、2人とも足を止めました。
それなりに疲労していたこともありますが、2人ともこの地点からであれば、道を突っ切ることで正しい道に合流することごできるのではないか、という考えが一致したのです。



僕らの置かれた状況をイメージしやすいように日常的なシーンで考えてみましょうか。

細い一本の坂道があります。

あなたはその坂道の左端を歩いて登っていたのですが、その進行方向の先にはとてつもなくでっかいカビゴンが道端で寝ています。
そのため、あなたは右端を通行することにし、坂道を横切ることにしました。

さて、僕らも似たような状況です。

しかし、僕らの足元はコンクリートではありません。
何かに掴まっていないとズルズルと滑り落ちていってしまう、そんな状況にいます。
つまり、左端から右端へ移動しようとしている間に、引力に負けてすってんころりんと行ってしまうのです。

もしそうなった場合は、そこらへんに落ちている石に頭をぶつけてあの世へ行くか、災害かなんかでボキッと折れた木の先端などに腹を突き刺してあの世へ行くか、のどちらかが僕らを待ち受けていることでしょう。

つまりは、僕らは「すってんころりんしないように、斜面を横切れ!」というミッションを山に与えられたのです。

さて、この時点で僕らが正しいルートから逸れてしまってから、おそらく30分は経っていたでしょうか。

遂に「ミッションスタート」ボタンを押します。

スタート地点からだと、ゴールだと思われる地点(正しいルートが見えていたわけではないので、ゴール地点でさえもあくまで予測なのだ!)までの間に充分なくらいの木が立っているように見えたのですが、いざコースを進んでいくと、木と木の間にはそこそこの間隔があることに気づくのです。

そのことに気づいた僕は、それまでは一眼レフを首から下げていたのですが、さすがにリュックの中にしまいました。
一度足を滑らせてしまって、お腹から倒れてしまいそうになった時に、母から譲ってもらった大切なカメラを山と僕でサンドウィッチしてしまいそうになったからです。

しかし、そんな簡単な作業でさえ、急勾配かつ身体を支えるものもほとんどない状況下では、非常に危険の伴う作業へと変化してしまうのです。

直後、たけるも足を滑らせ、沈没しかけた大型船から振り落とされないように必死に船首に掴まっているような体勢になっていました。
そのときの僕はその光景を見て、腹を抱えて笑っていましたが、もしたけるが勢いで船首を掴むその手を離していたらと想像するだけでゾッとします。

そして、「ミッションスタート」ボタンを押したばかりの僕らは、すぐさま「リタイア」ボタンを押しました。
これは、賢明な判断だったはずです。

あのまま、己の力を過信してミッションに挑んでいたら、どちらか1人は数分後にはあの世に行っていたことでしょう。


ミッション2

ミッション1に手も足も出なかった僕らは、斜面を横切るのは諦め、登ってきた足場の悪い斜面の少し横の、同じく足場は悪いけど木が所々に生えてるからなんとか下りられそうな斜面、から元の道に戻ることにしました。

しかし、これもなかなかの難易度。
木から木へ、木から木へ、木を伝いながら急斜面を下りていくのですが、もし木を掴み損ねたり、手を離してしまったりした場合は、何度も言いますが即あの世です。

大袈裟でしょうか?いいえ、児島です。

そうです。
先ほどから僕は何度も滑り落ちたり、転がり落ちたりしたら死ぬ恐れがあるといってきましたが、これは大袈裟なことではないのです。
児島なのです。

それほどまでに、開拓されていない山の斜面というものは危険なのです。

しかし、さすが一度宝満山の登頂に成功しているLv.8のたける。
怖がっている素振りを見せず、木を伝いながら斜面を下りていきます。

やはりLv.5の僕は、なかなか木から木へ、の第一歩すら踏み出せずにいました。
小学生の頃、木登りが得意なことを女の子たちに見せびらかしていた辻和馬少年は、折れた枝の上に手を置いてしまい、その痛みに怯んで木から落ち、結果手のひらをパックリと切ってしまったという苦い過去があります。
そもそもビビリな上に、外傷も心傷も負ってしまったというその忘れ難き過去も、僕の第一歩を踏みとどまらせた要因の一つであることに違いありません。

しかし、Lv.8の、いや、木を伝って中間地ほどまで下りたことによってLv.9にはなっていたであろうたけるの、的確な指示に頼りながら、なんとか道を間違えた地点がすぐそこに見えるくらいの位置まで下りてくることができました。

僕らが今下りてきた斜面を振り返ったとき、僕ら2人がまあまあな高さまで登ってしまっていたことに驚かずにはいられませんでした。


さて、ここまで下りてきてしまえば残りは簡単です。
比較的緩やかになった斜面を横切り、やっとのことで正しいルートに戻ることができたのです。

僕らが道を間違ってしまった地点から、僕らが合流したその地点は、おそらく10mも離れていなかったのですが、僕らはたったその10mに1時間弱もの時間を使っていました。

前回のnoteで書いた通り、正に「初心者でこれを経験する人はなかなかいない気はするが、初心者でなければ経験できない」事件だったと思います。

もう2度とあんな経験はしたくありません。


山頂での出会い

急死に一生を得た僕たちは、再び山頂を目指し、歩を進めました。
先程の一連の事件でかなり体力を使ってしまい、山頂まで体力が持つかと不安に思う気持ちはありましたが、そんな僕の思いと裏腹に体はグングン、グングン、山頂へ突き進んでいきます。

その中でも、再度山の中でしか見ることのできない素晴らしい景色に丁寧に感動したり、すれ違う人と挨拶を交わしたりしましたが、2人ともリュックの中からカメラを取り出すことはしませんでした。

そして、いよいよ山頂が近づいてきました。
山頂が見えたのではなく、その日初めて感じた人の賑わいというものが微かに存在したので、「あ、そろそろ山頂なんだな」と予測することができたのです。

道を間違え、何度か死を傍に感じ、やっとの思いで正しい道に合流できた。
その瞬間に、登山をする前までは想像もしえなかった安堵感と達成感を既に得てしまっていた僕は、山頂でちゃんと感動できる自信がありませんでした。
また、有名な登山ルートとかではなく、僕がたまたまGoogleマップで見つけた登山ルートということもあり、山頂からの景色なんぞに特別な期待してはいませんでした。
期待するだけ無駄だ、と思っていたほどです。
僕らは山頂での眺めなんかよりも、山登りの最中にある体験を求めて、わざわざここまで来ていたのですから。

しかし、これは登山をした者にしか分からないのでしょう。
山頂にたどり着いたという達成感、木々に囲まれた道から一気に自分たちを囲むものがなくなる開放感、登り切ることができたという安堵感、他にも日常生活では得られない体験をしているという高揚感や、日常生活で抱えている悩みや迷いなどの感情が、全てごちゃ混ぜになることで、上手く言い表せないような感情が湧き上がってくるのです。
それを、快感として捉えて良いのかは今の僕では分かりませんが、山頂にいるみんなが同じような感覚を覚えていることは、なんとなく感じ取ることができました。
そして、だからこそ、山頂という場所が神聖な場所のように思えてならないのかもしれません。

展望台に登り、
「あ、あそこレベルファイブ(今現在はベススタだけどね)じゃね!?」

「てことは、あの山あたりがたけるの家じゃね!?」

「え、海の中道まで見えるやん!」

「福岡市一望できるやん!」

「福岡市って、本当にコンパクトシティなんやなぁ!」
なんて一通りデフォルトのような感想を述べて、展望台の下にある木製のテーブルに座ることにしました。

いや〜、山頂で食べるアルフォートは格別でしたよ。
隣のテーブルではカップラーメンを作っている人もいましたが、そして実はそれが僕らのしたかったことではあるのですが、アルフォートも負けていなかったはずです。
少し溶けてたけど。

「梅雨の中休み」の名の通り、その日は本当によく晴れました。
そこまで暑くもなく、ジメジメもしていない天候の中、山頂でのんびり会話しながら過ごす時間は堪りませんでしたが、テッカニンみたいな虫が何匹も、ブゥゥン、ブゥゥンと僕らの耳を掠めていくことだけは少し残念でした。

しかし、「梅雨の中休み」という言葉は、2人とも母親から教えられたというのですから、母は偉大ですね。


日曜日の午前中ということもあってか、山頂ではまあまあ多くの人が行ったり来たりしていました。
そして、各々がたくさんの感情がごちゃ混ぜになった感覚を覚えながら、各々の過ごし方で楽しんでいます。

パシャパシャ写真を撮ったり、ただひたすら眺望を楽しんだり、お弁当を食べたり。

その中で僕らが少し気になったことがあります。
それは、多くの人が、ここは自分が登ってきた山の頂上であることを示す看板の前で写真を撮っていたことです。

もちろん普通なことではあるのですが、一人で登ってきたおじちゃんたちが、三脚を使ったり、必死に手を伸ばしたりして、自撮りしようとしている姿がすごく可愛らしくて、僕らはいても立ってもいられなくなってしまったのです。

そして、僕は、また必死に自撮りをしようとしていたおじいちゃんに「写真、撮りましょうか?」と声をかけました。
すると、そのおじいちゃんはすごく嬉しそうな顔をして、「ありがとう。お願いします!」とスマホを渡してくれました。

「私なんてもう随分老人だから、後ろ姿でお願いします~」
「正面からなんて、もう75になった今は恥ずかしくてね〜」
なんて笑顔で応えてくれる可愛らしいおじいちゃんのお陰で、まだずっと僕らの頭上を飛び回っているテッカニンの存在なんか忘れて、僕らも思わず笑顔になっていました。

仮にもカメラを趣味にしているわけなので、良い写真を撮ってあげようと、いくつかのアングルから撮ってあげました。
その写真を見て「家内に送るね。ありがとうね。」と言ってくれる可愛いおじいちゃん。

話しかけることはできても、話を広げようとするほどのコミュニケーション能力は僕には備わっていませんので、すぐにテーブルに戻ったのですが、ちょっと後にそのおじいちゃんが「一つ私が自慢したい写真があるのですが、少しだけ自慢させていただいてもよろしい?」と声をかけてきてくれたので、忠実にソーシャルディスタンスを守った上で15分くらい話をしました。

その写真は、そのおじいちゃんが以前訪れた北アルプスの写真でした。
日本の写真とは思えない迫力を持った山々に、赤とピンクとオレンジの3色がパレットの上で混ざり合ったような力強い陽が当たり、そしてモクモクと湯気が立ち昇っている(このことについても詳しく教えてくれたけど、覚えてないや!)その光景は、スマホで撮ったとは思えないほどの絶景でした。

その写真には、おじいちゃんの心からの感動が籠っているからこそ、カメラの性能に関係なく綺麗な一枚の写真になっているのでしょうね。


登山終了!

そんなこんなで、おじいちゃんとの会話も終わり、たけるの仕事の話や僕の将来の話などをこれまた30分くらいしてしまい、約一時間ほども滞在してしまったので、さすがに下山することに。

「あ、ここはさっき休憩したところやね」なんて会話ができるくらいに道を覚えていたのですが、何故か僕らが道を間違ったその地点だけは見つけることができませんでした。

それほどまでに、僕らは道とは思えないようなところを登ってしまっていたのでしょう。

途中、沢のすぐそばでひたすら立ち尽くし、山の全てを全身で感じるように周りを見渡している「山の神」と遭遇しました。
今度は僕らが追いつくという形になったのですが、そりゃあこんな風なペースで進んでいたら俺らにどんどん離されるよな、と納得。

そんなこんなで、それ以外には特に大きな事件も何もなく、無事下山することができました。



これで僕らの登山は終わりです。

僕らの舐めた格好に始まり、途中で見た息を呑むような景色、息が止まるような体験、また登山でしかできないようないくつかのコミュニケーションなど、初めての登山は非常に刺激的なものでとても思い出深いものになりました。

他のルートや他の山に挑戦したり、違う人と登ってみたり、一人で登ってみたり。
Lv.5の僕には、まだまだ想像もし得ないくらいの体験が山にはあるのだと思うと、ワクワクが止まりません。

帰り道に寄ったホットドッグ屋さんや、HIGASHIYA ART FURNITTREというビンテージ家具屋、sparesという古着屋の話も少し書けたら、とも思っていたのですが、ここまでビックリするほど長くなってしまったので、また機会があれば書くことにします。

いや〜、楽しい1日でした。

こんな風に、日記みたいに書くnoteも良いですね。

続けていければ、いいな〜

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