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図像学研究者とテレビ番組

図像学とはなかなか一言で言い表せない。とは言ってもその一つに視覚芸術作品に織り込まれている意味を学術的に研究する事があげられる。
図像学は宗教と強い結び付きを持っており、宗教学・宗教史・美術史とも密接に繋がりがある。

私は仏教図像学とキリスト教図像学を研究している。前者はやはり日本人という事もあり幼い時から仏教が身近に存在していた事、後者は私は正教徒であるので、聖書と同じくらいイコンを始めとするキリスト教美術に接してきた事。これらの理由がきっかけで図像学でもこの二つの分野を研究している。
研究しているといっても決して図像学の学者という訳ではない。あくまで研究者です。研究者って学者じゃないのなら、それは趣味では?と言われると、これがまた微妙である。

私は図像学研究者として映画の脚本やテレビ番組(歴史物)の演出に関わる事もあるので、図像学が仕事としてリンクしている。

テレビ番組の場合、どういう形で関わるかというと、演出上歴史的に明らかに間違っていたり、矛盾した物などを避け、演出をサポートするといった仕事だ。もう少し詳しく述べると、例えばテレビ局が歴史物の番組を制作する場合、その分野の大学の教授・学者さんに監修という形で関わってもらう。それに伴い学術的な資料や考察を提供頂き、それらを踏まえた上で学術的に確認された物を番組に反映させる。
番組により学者との関わりは様々。殆どの場合、現場サイドが、例えば再現CGなどを作り込む際、学者が直接製作現場に出向いて美術的な演出を行う事は殆どない。
それにより、制作側は慎重に作り込んだにも関わらず、番組を作ったら演出(美術)の一部に間違いがあり、学者から「これ間違ってるよ!」と駄目出しされるケースが起きたりする。
そこで現場での美術的な資料集めからそれらを使用するにあたって、知識のある人間が現場にいて、制作が間違った方向へ進んでしまう事を避けるよう進める。

解りやすく例をあげてみますと、以前中央アジアの遺跡で仏教の影響を受けた寺院の再現シーンがあった。壁画があった部屋の当時の様子を再現するシーンだったのだが、現在遺跡として残っている壁画は、部屋の一部にしかなく、再現CGではどうしてもイメージを用いて部屋全体に壁画を再現しなければならない。学者からはこの部屋には全面に壁画が施されていたであろうと確認は取っていたが、しかしここで問題が生じた。そもそも誰もその部屋全体の壁画って観た事がないのだ。当たり前だが実際に壁画を見た事のある人など現代には存在しない。しかしCGで部屋を再現する場合、具体的(美術的)に表現するには、壁画が残っていない部分もイメージを用いてデザインしなければならない。そういったケースで、制作現場はイメージとして用いる美術作品が時代的に間違っていないかとか、明らかな矛盾はないかといった問題を避ける為に、現場サイドで私の様な研究者の演出が必要になる。学者にイメージを作ってくれといってもそれは無理な話だし、芸術家にイメージを作れと言っても歴史的な知識が無ければこれも無理な話だ。

またこんなケースもあった。正教会成立時の古い教会をCGで再現する際、正教徒であれば知っていて当たり前の話で、正教の教会内にキリスト像やマリア像は存在しない。それは正教が偶像崇拝をしない為で、キリスト像やマリア像を偶像として扱っているからだ。その為、正教の教会ではイコンがある訳で、その時点で一見してカトリックの教会とは違いが分かる。これはキリスト教信者や学者からしたら当たり前過ぎる話だが、逆に言えば信者や学者でなければ、一般の人は知らない。それを現場のCG制作者がキリスト像を正教の教会にCGで入れたらおかしな事になる。まあこれは非常に極端な例なので実際にこんな演出はおこらないが、それでも現場ではそんな一部の人にとっては当たり前の事が、間違って演出されてしまうといった事が起こり得る。

私の様な研究者は、制作現場で間違った演出によって無駄な労力と時間を避ける為に一役買っている訳だ。学者が美術的にいちいち細かい所まで監修していられないような部分を補う。学者と番組制作現場の中間的な立場だ。映像作品における研究者の立場は非常にニッチなものだ。

図像学は面白いが、扱う情報は膨大になる。幸い学生時代に宗教学と宗教史を専攻して、基礎知識があった事が幸いして、また歴史物の番組に関わった事で図像学を生かす経験を得た。そのおかげで更に図像学を研究する事になった。
私など、知識と学術的に確認された情報量は学者先生には敵わない。また分野も非常に限られている。しかし非常に限られた分野でも隙間を埋める事が研究者には出来る。

映画の世界では素人が見てもこれは歴史的には不正確で、オリジナルのデザインでしょという演出に遭遇する事がある。まあエンターテイメントなので、そもそも何でもありなのだが、それでも一見して違和感のあるデザインが出て来るシーンに遭遇すると、作品に対して興ざめしてしまう。

学術的に確認された事実だけではエンターテイメントの世界では表現に限界がある。そのよう場合、クリエーターサイドではせめて歴史的に矛盾のない演出を心掛けて欲しいものだ。
我々図像学研究者は悲惨な演出を避ける緩衝材のような役割を発揮している。ニッチだがなかなか面白い仕事である。


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