第4合『わび酒』:酒役〜しゅやく〜
日本酒サークルのメンバーは、代表のソニアをはじめ8人。俺が加わったことで9人になった。これでいつでも野球ができる。
男女比は、男4:女5と、意外にも女性が多いことに驚く。
今日は、月に1度の全体ミーティングの日で、サークルのメンバー全員とは初顔合わせになる。
メンバーがみんな、「事務所」と呼んでいる日本酒バーは、平日の夕方だというのに満席だった。
「日本酒って、人気があるんやな」
ソニアに確認を求め、呟いた。
「現在、日本酒ブームが、とうらいしています。これを、ブームで終わらせず、文化にすることが、私たちの活動目的です」
日本酒に魅了され、流れのままに入った日本酒サークルだったが、そんな日本酒の、未来の一端を担っていたのか。
「坂倉くん。マスターと、みんなに、自己しょうかいを、してください」
「あ、そうやった……はじめまして。坂倉 修三(さかくら しゅうぞう)です。大学3年生の20歳。日本酒のことはあんまり分からないんですけど、この前飲んだ日本酒がおいしくて、もっと知りたいと思いました。よろしくお願いします」
みんなからは、拍手で迎えられた。
口髭を生やした、男前のマスターも歓迎してくれた。
「もっと知りたいという感情は、『好き』と同義だよ。恋愛のそれと同じようにね」
男前には、酒と恋と口髭がよく似合う。
「それじゃあ、修三の入会を祝って、とっておきのお酒を振る舞うよ」
俺のことを『修三』と呼ぶのは、家族くらいのものだ。マスターの距離の縮め方に感動を覚えた。
男前は、素早くも丁寧に、9人分のワイングラスをテーブルに並べる。
日本酒バーなのに、乾杯はワインなのかと落胆していると、そこに注がれたのは、紛れもなく日本酒だった。
ラベルには、『千利休 純米吟醸酒』と書かれている。
日本酒は、お猪口で飲むものなのに、ワイングラスに注がれている可笑しな現実を、指摘する者はだれもいない。それどころか、ワイングラスの中をお酒が自由に泳ぎ回るかのような美しい光景に、みんな見とれている。かくいう俺も見とれた。
「これは、大阪は堺の地酒だよ」
大阪の話をしていても、マスターは標準語だ。元は東京の人なんだろう。なぜなら大阪には男前も、べっぴんさんもいないからだ。
大阪人
行く末みんな
おっさんおばはん
たまに、おっさんのようなおばはんもいることを付け加えておこう。
ソニアがその場に立ちあがり、乾杯の音頭をとる。
「坂倉くんの入会と、今月も、日本酒サークルの、かつやくを願って……かんぱい!」
ワイングラスを目上に少し掲げたのち、俺はグラスを口に近付けた。
……いままでに感じたことがないほどの、強くとも華やかな香りが鼻腔に広がる。
続いて、お酒を口の中に流し込む。
口全体に、先ほどの香りとよく似た華やかな香りが広がり、やわらかな味わいが俺を支配する。
一口飲んで鼻から息を吐くと、なぜか先ほどの香りがまたも鼻腔に広がった。息を吐いて香るなんて、『呼吸のスペシャリスト』ラマーズに答えを求めても、口をつぐむだろう。
「どうだい、修三?」
「とてもおいしいです! こんなに香りの高いお酒は、初めて飲みました」
「おいしいっしょ。でも、これは香り高いお酒ではあるんだけど、究極的に高いわけじゃないんだよね」
「そうなんですか? じゃあ、なんででしょう」
「修三は、日本酒をワイングラスで飲むのは初めてかぃ?」
「初めてです」
男前の顔が少し歪んだ頬笑みを見て、俺はすべてを理解した。
ワイングラスだと、香りが広がり、捉えやすくなるのだ。
それでマスターは、このお酒をワイングラスで提供したということか。なるほど。これが『おもてなし』。
「この堺泉酒造さんは、44年ぶりに、堺の地酒を復活させたんだ。一度見学に行ってみるのも、おもしろいと思うよ」
男前談話を受けて、ソニアが口を開く。
「私たち、日本酒サークル。次回の、見学場所が、決まりましたね」
サークルの活動として、酒蔵見学へ行くらしい。俺は、具体的な活動内容を知らされていないのだけど、なんだか楽しんでいることは、たしかだ。
おいしい日本酒と出合い、人と出合い、ワクワクする日々を送っている。
一つ言えることは……いま俺は、とっても、幸せだ。
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