第1合『美女の涙は吟醸酒』:酒役〜しゅやく〜
ゼミの飲み会は、大学近くにある格安居酒屋で行われている。
俺は、たまたまイタリア人女性の隣に座り、顔を赤らめている。決して照れているからではない。お酒を飲んでいるからだ。
留学生のソニアは成績優秀で、加えてスタイル抜群。立って並ぶと、彼女の腰の位置が、俺の顔の高さと同じになるほど脚が長い。
「日本人は、あまり日本酒を、飲まないのですか?」
「いぇー、いえす。おー、のー」
急に外国人に話しかけられると、どうしてこうも、ぱにっくになるのだろう。
「大丈夫です。私は、日本語を、話せます」
「あー、そっかそっか、そうやったな。えっと、なんやったっけ?」
「坂倉くんは、日本酒を、飲みますか?」
「日本酒? 飲むで。このあと注文するよ」
最初の何杯かをビール。終盤になると、味は好みではないけど、いつも日本酒を頼む。安くてすぐに酔える。これに尽きる。
「私は、『ギンジョウシュ』が、好きです。坂倉くんは?」
ソニアは、俺の知らない言葉を並べた。そっか、イタリア語か。
「じゃあ、そろそろ日本酒頼むわ。ソニアも一緒に飲む?」
「飲みます。私は、日本酒が、大好きです」
「めずらしいなー、冷やでいいよな?」
「はい。冷や、おいしいですね」
おいしくはないけど……と思いながらも、俺は飲み放題メニューを手に取り、注文する。
「お猪口は、2つで」
しばらくすると、いつも注文している日本酒が運ばれてきた。
「これを持って。注いだるわ」
俺は徳利から、ソニアの持つお猪口に、こぼれんばかりの日本酒を注いだ。
「さぁ、飲んで」
「いただきます」
ソニアは、ぐいっとお猪口を傾け、日本酒を口の中に流し込む。
……2秒後、マーライオンみたいに、口に含んだすべての日本酒を吐きだした。
「まぁー! ライオンみたい……ゆーてる場合か!」
「ごめんなさい。日本酒は、おいしいものだと、思っていたのですが、これは、おいしくなかったのです」
「はっはっは。日本酒は、おいしいものじゃないよ。安くてすぐに酔えるだけのもの。ほんま、ソニアが日本人やったら、シバいてたところやわ。はっはっは」
すると、ソニアの目から、涙がこぼれ落ちた。
「ごめんごめん。『日本人やったらシバいてた』ってゆーのは、冗談やねん。ほんまにシバくわけちゃうねん。ちょっと言い過ぎたわ」
「それは、わかっています。グスン。大阪人が、なんでも『盛って』言う性質なのを、私は知っています。だって、私の腰が、坂倉くんの顔と、同じ高さだったら、私の身長は、3メートル以上あるはずですから」
あれ、それ声に出して言ってたっけ……
「私が、泣いているのは、日本酒が、大好きだからです。それを『安くてすぐ酔えるだけのもの』と言われたのが、悲しかったのです。グスン」
「そっかそっか。ごめんな。好みは人それぞれやもんな」
「そうじゃないのです! 日本人でも、日本酒を好きじゃない人がいるでしょう。イタリア人でも、ワインを好きじゃない人がいます。だけど、坂倉くんは、日本酒のことを、知りません」
「知ってるよ! いつも飲んでるもん!」
「坂倉くんは、たとえば、『ギンジョウシュ』を、飲んだことが、ありますか?」
「イタリア語じゃ、わからんよ……」
「『ギンジョウシュ』も、知らないのですか? お話に、なりません! ちょっと、ついてきてください」
ソニアは、2人分の会費をテーブルに置き、俺の手を引っぱって、店から連れ出した。
友人たちからは、なぜか「お~」と歓声が上がる。
ゼミの先生からも、「成功の秘訣は『ジェントルマン』や」と、訳の分からないアドバイスを送られた。
恐怖が8割と、ワクワクと下心が1割ずつを占める。俺は一体、どこへ連れていかれるのだろう。
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