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アルゼンチンの才能の原点 【真剣勝負のストリートサッカーから生まれる能力】
南米といったらストリートサッカーという印象がありませんか?
今回は僕が2年間住んでいたアルゼンチンでの経験からリアルなアルゼンチンのストリートサッカー事情について触れていきます。
アルゼンチンがたくさんの才能を生み出しているのと現地で行われているストリートサッカーには大きな関係があると思っています。
今回はリアルな現地アルゼンチンの様子をお伝えします!
【 アルゼンチンのストリートサッカーとは。 】
僕が実際に見た現地アルゼンチンのストリートサッカーは、空き地や人通りの少ない道で子供たちから大人たちまでもがサッカーをしていました。
アルゼンチンでは、ちょっとした空き地にパイプが立っており、それをゴール代わりに皆んながサッカーをしています。
高速道路の脇にある空き地でさえも、自分たちでサッカーフィールドを作り、サッカーをしていた人たちが印象強いです。
そういったサッカー王国“アルゼンチン”のサッカーへ対する情熱や愛情を見てきました。
そんな光景と日本を照らし合わせた時に、日本の子供たちも日本という国の中でストリートサッカーを行なっていると思います。
日本の文化や環境、経済から考えると空き地とは言わなくても、子供たちが放課後に公園や広場、学校の校庭でサッカーをしている環境が日本で言うストリートサッカーに値すると感じます。
では、何が違うのでしょうか?
現地のリアルな現状と比べ、お伝えします。
【 日本とアルゼンチン何が違うのか? 】
まず日本では有り得ない光景としてアルゼンチンにあるのが、例え子供たちが遊ぶ広場や公園であっても大人たちが集まってサッカーをしています。
この光景は日本では考えられないですよね。(笑)
実際に放課後に行った近所の広場や公園に大人たちが集まってサッカーの試合をしているのを見た人は日本ではいないのではないでしょうか。
逆に日本では、子供たちのスペースをしっかり認識の中で区別されていることは文化として素晴らしいことかもしれません。
しかし、アルゼンチンでは平気でどこでも大人たちが集まってサッカーをしています。
そして、子供たちも一緒に参加することができます。
それだけアルゼンチンでは、サッカーが大人から子供まで人々生活の中に根付き、1つの文化になっているから起きている現象だと思います。
僕もアルゼンチンにいた時は、たまにオフの日に広場へ行き、現地の大人が集まってサッカーをしているところに参加していました。
大人だろうが、子供だろうが、勝負になったら本気で戦います。
広場でサッカーをしているとは思えない程の激しさでプレーし、勝利にこだわります。
【 スペインにもあったストリートサッカー 】
ストリートサッカーの現状はスペインにもありました。
僕がスペインにいた当時住んでいたところから徒歩10分ほどに空き地があり、ボコボコの土のグラウンドがありました。
ネットは付いていませんでしたが、ゴールもあったので、サッカーをするには十分なスペースでした。
なので、僕もスペインにいた当時は放課後、練習前や練習のない日にはそのグラウンドへ行き、サッカーをしていました。
スペインには南米から来ている移民の方々が多くいるので、時々南米の人たちがそこのグラウンドに集まりサッカーをしていました。
【 14歳だろうが、ストリートサッカーでは
大人に思いっきり削られる 『僕の実体験』 】
14歳だった僕は、20〜40歳といった大人たちとサッカーをできるのは最高環境だと思い、よく参加させて貰っていました。
一緒に試合に入り、大事な場面でシュートを外せば、子供だろうが、ブチギレられます。
勿論、ドリブル突破をすれば、相手チームから思いっきり削られます。
ボコボコの土のグラウンドなので、削られれば、当たり前ですが、倒れて擦り傷ができます。
サッカーになれば、子供だろうが、年齢はお構いなしということです。
逆に重要なゴールを決めたり、試合中に重要な役割を果たせれば、「次回はこの日のこの時間から集まってサッカーをするからまた来てくれ」と言って貰えます。
その時感じたのは、サッカーの試合で使えるか、使えないかを見ているということです。
日本では、サッカーにおいて大人と子供の線引きは環境や場所でしていると感じます。
子供のスペース、大人のスペースと分けていると思うからです。
しかし、サッカーにおいてスペインや南米での子供と大人の線引きは、試合で使えるか、使えないか。年齢は関係ないということです。
一緒のフィールドでプレーすれば、大人だろうが、子供だろうが、本気で向き合い、良い選手ならば評価される。
単純なことでした。大人とサッカーというフィルターを通して関わるということは、本気勝負の中で何歳だろうが、評価を得れるかどうかということでした。
大人と子供の線引きは年齢ではなく、実力と感じた瞬間です。
それは同様にアルゼンチンのストリートサッカーでもありました。
日本には放課後、近所の広場で何気なく、そんな体験をできる環境はないと思います。
【 現地アルゼンチン人が語る
“ストリートサッカーの重要性“ 】
僕がアルゼンチンにいた頃、同じチームに所属していた親友がアルゼンチン人の目線から考えるストリートサッカーについて語っていたことがありました。
「俺は学校が終わったら毎日空き地に行ってサッカーをしていたよ。
毎日近所のサッカー友達がそこには20〜30人集まって、試合をするんだ。
とにかく、試合をしたよ。毎日試合をする中で自分の能力を磨いていくんだ。
たまに大人たちも混じってくれて一緒に試合をするんだよ。それでストリートのマエストロ(師匠)たちがテクニックやサッカーでの戦い方を教えてくれるんだ。
長い日は夜の20:00くらいまでずっと試合をしているんだ。(笑)
そしたら、親が迎えに来るんだよ。(笑)
じゃないと俺たちは朝までサッカーをしていたからね!(笑)
きっとそれはアルゼンチンやブラジル、南米にしかない文化だと思う。今アルゼンチン代表にいる選手たちもみんなストリートを経験している。
僕たちアルゼンチン人はストリートサッカーでたくさんの試合をプレーしてサッカーを学んでいるんだ。」
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僕がまず感じたのが、チームでもないのに放課後20人集まってサッカーの試合!?と思いました。
近所の友達が20人も集まって毎日サッカーをできる環境は日本にはないなと感じました。
そして、そんなサッカーの基準がもう出来上がっている子供たちにサッカーを教えられる大人が近所にいるかというと難しいなと思いました。
僕がスペインにいた頃、南米の大人たちが集まり、サッカーをしていたところに参加していたと言いましたが、そこには元ボカ・ジュニアーズのユースチームでプレーしていたおじさんらがいました。
そして、僕の通ったストリートサッカーでは、“ディマリア”とあだ名を付けられる程、プレースタイルがディマリアにそっくりで、もの凄くサッカーの上手いコロンビア人のお兄さんがいました。
当時14歳の頃の僕には絶対に敵わない人たちが親身になってサッカーを教えてくれました。
教えてくれたというよりは、“大人の真剣勝負に混ぜてくれ、体感しながら学んだ”という表現の方が正しいかもしれません。
そういった環境が現地にはあることが、とんでもない才能を生み出していると思います。
こちらはアルゼンチン時代に感じた『競争』について以前記したので、もしよろしければご覧ください。
【 まとめ 】
これが僕の経験から現地で感じたサッカーの才能を生み出している現状です。
たくさんの人たちのサッカーへの凄まじい情熱が伝染し、DNAの中に刻み込まれ、膨れ上がることで相乗効果が起こっていると感じました。
そして、身近なところに真剣勝負を挑める環境があるかないかは、もの凄く子供たちの成長に影響しているとこれまでの経験から思います。
サッカーが人々の生活に根付き、文化となっている国では、当たり前の日常が、違う国で生まれた僕からすると普通ではない現状が現地にはありました。
サッカーに限らず、沢山の世界や景色を見ることで人生の価値観や思考が広がることはあると思います。
そんなことを改めて思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。