小学生でもわかること
最近、SNSという存在の在り方が変化している気がする。
私は愚者なので本質的に間違っているかもしれないが
「Twitter」は自分の意見を発言するためだけの場であることを忘れてしまった人が多すぎるのではないだろうか。
リプライ、リツイートも引用リツイートもすべては自分の意見を発言するために持ちいる手段の一つに過ぎないのではないか。
純粋な意見を誹謗中傷と見做され、法的措置を取られることを恐れ、自由な意見を発言できなくなると恐れている人
送られてきた意見に対して、批判と捉え訴える人
SNSは嫌いな人とやり取りする場所ではありませんよ
SNSは自分の興味の合う、波長の合うユーザーと意見の共有、交換を行い
自分の興味がない、波長が合わないユーザーを見ない場所です
そもそも、なぜ誹謗中傷を見たがるのですか?
街中を歩いているとき、嫌な喧騒をわざわざ見たいと思いますか、視界に入ったことで意識しますか?
SNS上におけるすべての発言は街中の喧騒と何も変わりません。
興味のないこと、嫌なこと、嫌いな人、すべて無視して構いません。
本当に嫌な人は遠慮せずにブロックしましょう
SNSのユーザー数はあなたが日常で触れる人の数よりも多いはずです。
日常で200人を嫌い、連絡先を削除することは困難かもしれません。しかし、SNS上で200人を嫌い、ブロックすることは容易です。
日常における200人はSNSにおける2万人より多いです
SNSのアカウントとはその程度のもの
嫌い、嫌だ、不愉快、相手に対して悪感情を抱くのであればまずは視界に入らないよう、片っ端からブロックしましょう。それが今の時代におけるインターネットサービスです。
ゾーニングが行われているからこそ、興味がなければ出てこなくなった。しかし、SNSは相手に発信できる。
興味がなくても、相手に見せることが出来るサービス
興味がないことはブロックすると表明することが一番求められることです
小学生でも、本当に反りの合わない人とは距離を置くなんてこと知ってます。
インターネットでしか、匿名でしか鬱憤を晴らせないような相手に自分の時間を割くに値すると思いますか?
普段から利用しているアカウントではなく、わざわざ捨て垢と呼ばれるそのためだけのアカウントを作って発言するような人に時間を割くことに利益があると思いますか?
インターネット上における情報の取捨選択、それは新聞記事やブログといった情報を公開しているサイトだけで必要な情報ではありません
インターネットにおけるすべてのサイトで必要な操作
小学生でも学校で習うこと
「嫌い」は「嫌い」、「嫌い」と分かり合うには相手が鬱憤ではなく、意味を持って「嫌い」と言わない限り、その機会は訪れないのではないだろうか