〝矛でまもることも、盾で殴ることもあるよね〟
「矛盾はしない方がいい」みたいな考え方は、いつ生まれたんでしょうね。
政治家の方が説明責任を求められた時や、事件の犯人が嘘の供述をした時のイメージが強いからでしょうか。
「矛盾」=自分の考えや軸に一貫性がない。というイメージが強くてあるように思えます。
発言に矛盾が多いと、「嘘つき」や「口だけの人」という印象になり、「信用できない人」や「相手の心が分からない人」などと連想されていく。
使い方は間違っているかもしれませんが、「理想の自分と現実の自分のギャップがある」という時にも、矛盾を感じることがあります。
たとえば、大切な友達が人生を賭けた勝負の大会に出場するとしたら、なんて声をかけますか?
自分も出場する場合は「一緒に頑張ろうね!」
友達だけが出場する場合は「私も精一杯応援させてもらうから頑張ってね!」
でもこう考える人もいるでしょう。
(今まで本当に頑張ってきているのは知ってるから、さらに頑張れなんて言えない。だから…)
「練習の成果を全部出してきてね!」
私はこのような
〝矛盾しているようで矛盾していないこと〟
が多いと思うんです。
「頑張っている人にこれ以上、頑張れって酷だよ。」
という意見もあるでしょう。
でも、近くで見てきたからこそ「頑張れ」しか言えないってこともありませんか?
これは「頑張っている人に対して頑張れと言うか否か」という面では矛盾しているように見えますね。
でも、これは状況の背景によっては矛盾してないと思います。
それは「明日の大会で最高のパフォーマンスをして欲しいという気遣いのエール」という面で見た時です。
一緒に頑張ってきたけれど、自分は出場できないから、友達には私の分もいいパフォーマンスをして欲しい。
これは〝祈り〟が込められている頑張れですね。
「今よりもっと努力しろ」とは感じないですよね。
応援の意味での「頑張れ」、祈りの意味での「頑張れ」
もっと努力が必要だという意味の「頑張れ」
同じ「頑張れ」でも伝わる意味が違う。
言葉というのはほんとに厄介ですね。
人間の心模様や固定概念によって、捉え方が変わってしまう。
矛は攻撃をするもの。盾は守るものって信じて疑わない人は、その価値観でしか物事を捉えることができない。
過去の矛盾を自分の過ちであると気づいて、真摯な対応をすることが成長。
いつまでも狭い価値観でしか物事を捉えることができない人は、人間的成長に対して矛盾しているのかもしれませんね。