良いバイクってなんだ?
「良いバイク」って一体何?
たった1つ。
すごくシンプルなこの疑問。
初めてバイクに乗る人にとっては当然ながら自分の中に何も基準が無いところから始まるゆえに、その判断は凄く難しい物だと思います。
「この操作が難しい」と感じているものが、単にそのバイク個体が抱えている問題なんていうのは良くある話で、そもそもバイクは自立する事すら出来ない乗り物。「こういうものなんだ」と「難しい乗り物」という先入観からその問題を見過ごすことで、こんなに難しいなら諦めようなんていうのは、とても勿体無い話。
そんなハードルを1つ越えて、何台かのバイクに乗ることができたライダー達は、より「良いバイク」を探し出します。
「パワーがある」「安定感がある」「乗りやすい」「楽しい」「味がある」
基準はそれぞれ表現する方法も無限にあると思います。
でもその「答え」持ってますか?
普通に街中を走るスクーター。
近所のバイク屋さんで中古で数万円で手に入れた、なんの変哲の無い50ccのスクーター。
風雨に耐え、キーを回せばエンジンがかかり、アクセルを捻れば仕事先まで連れて行ってくれる。
その人にとってはきっと必要十分な「良いバイク」なのかも。
世界中の名だたるサーキットを転戦し、メーカーの威信を賭けて走るMotoGPバイク。
1台数億円とも言われ、それぞれのライダーのためだけに作られると言っても過言ではないファクトリーマシン。
ミリ単位での調整を繰り返し、たった0.01秒速く走るためにあらゆる技術注ぎ込み、作り上げたバイク。
勝つことだけに向けて作られたバイクで、レースで勝つことができなかった時、果たしてそのマシンはそのライダーにとって「良いバイク」なんでしょうか?
目的が何なのか。
目的が達成出来なければダメなバイクなのか?
一般公道で求められる「良いバイク」とサーキットで求められる「良いバイク」の要素の多くが違うということは、想像に難くないです。
しかし、それぞれの環境で「良いバイク」を言葉にしようとした時、パワーやトルク、燃費など数字が良ければ「良いバイク」とは限らず、
その感覚的な部分を絶対的な数値や具体的な事象として実際に語られることは少ないです。
もちろんそれぞれのライダーがそれぞれの感性を持ち、一重に「良いバイク」と言い切ることは難しく、コレさえあれば良いバイク!と言えるような定義はおそらく存在しないのではないかと思います。
車では年々要求が高くなる燃費のための軽量化と室内の静寂性という相反する部分を、素材の進化や加工技術の進歩によって年々良くなっていますが、
ことに体を剥き出しに風を受けながら走るバイクにとっては、いたずらにバイクを軽く作る事や静寂性を高める事が車両に対しての満足度を高める訳ではありません。
走行中にタンデムシートに乗ったライダーとインカム無しに会話をするのは難しく、単純な静寂性は風切り音や身につける装備に依存する部分も多く、また当然ながら車のようにエアコンで室内を快適にする機能もない。
ただ、それらのいわゆる快適性の部分だけでバイクの購入をやめる理由にならないのが「バイク」という乗り物の特殊性を表しています。
「16才で原付の免許を取り18才の車の免許を取るまでの間、どんなに暑くても、どんなに寒くても目的地にたどり着くための手段がバイクしかない。」
そんな状況でバイクと付き合うと、もしかしたら好きになれないのかもしれません。
どれだけ「この人良い人だな。」と感じていても一緒に居なきゃいけない状況になった時に悪い部分が見えてくる事に近いかも。笑
目的地にただ移動するだけなら、もっと便利で、快適な手段は選択肢があります。
程よい距離感で。
「雨が降るならやめておこうか」
と言えるような気負わない付き合いだとバイクの魅力はよりいっそう彩りを増すように個人的には感じます。
自分にとっての「バイク」は、サーキットで速く走ることが目的でした。より無駄なく、より速く。
当然バイクに乗る大半の人はそういった使い方ではないと思います。
特殊な環境でバイクと付き合ってきた人間の言葉。という前提ですが…。
例えるなら今まで自分にとってバイクは、「一緒に演奏し踊るパートナー」でした。
それはどちらかが、不足、もしくは過剰でいるとコミュニケーションは上手くいかず破綻(転倒)してしまうことであり、上手くいく時は、文字通り一緒に踊るようにお互いの動きを把握しひとつの楽曲を完璧に演奏するように調和していくことでした。
今年、これまでより一般公道で乗る機会がありました。しかもレースでもベース車として使用しているGSX-R1000R。
バイクに乗る時、主役は自分とバイク。そしてサーキットというステージで、いうなれば「踊る」のが「レーシングライダー」としての自分の当たり前でした。
しかし一般道でのバイクは、サーキットで見せていたその圧倒的な性能を見せつける事なく、当たり前に周りの流れに乗って走り、気がつけばそれまでの主体性はまるでそこにいなくなっていました。(もちろん自分の右手次第とは言え)
サーキットでの性能を求めて作られたマシンで、こんなに快適に疲れる事なく一般道を走れるなんて。と感心しながら走り始め、その感覚に慣れ始めてしばらく…。
周りに車やバイクが居なくなり、壮大に広がる景色や雰囲気の中で、見ている物を独り占めにしているような高揚感に包まれ、ふとこの場所に連れてきてくれたバイクの存在に「バイクはパートナーではなく、演奏し、踊っているその場所。ステージそのものなのかもしれない。」と頭の中に言葉が浮かび、みょうに「あぁそうか」と合点が行った気がしました。
サーキットで右手をいっぱいにひねれば300km/hを出すマシン。
一般道で流れに馴染み、ふと気配を消していくマシン。
踊っても良いし、静かにたたずんでも良い。
自分の中でそれが「パートナー」というよりも「ステージ」「舞台」と言う方がしっくり来た瞬間でした。
乗る人によって、何をするのかはバラバラ。
演じる人もいる。踊る人もいる。少し手のかかる「舞台」に愛着を持つ人もいる。
その楽しみ方はそれぞれ。
今までも一般道で乗る機会は人並みにありました。
でもサーキットをしっかり攻めれる車両で、そのまま公道を走る。ましてやこの時は前日に同じ車両でサーキット全開走行をこなしたばかり。
自分の中で、サーキットと公道は別次元。埋められない隔たりみたいな所がどこかにありました。
でも気配ゼロの公道から、サーキットの全開走行までが初めてシームレスに繋がった。
全力で踊る事しか知らなかった自分に、静かに寄り添う事で同じ線上なんだと気付かせてくれたGSXRは良いバイクだなと。
そんな回顧録でした。