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信濃町に暮らすということー春・後編ー

今回は「信濃町の春、後編」です!
前回の記事では信濃町が冬から春へ移り変わる様子をお伝えしました。
今回は、春本番を迎えた信濃町についてお伝えできればと思います!

※前回の記事はこちら!

前々回の記事もぜひご覧ください!
ここから読んでいただくと、信濃町の季節の移り変わりがよくわかります。

さて、今回の内容はこんな感じです。
少し長いですが、お付き合いいただけますと幸いです!

春・本格化

まずはこちらをご覧ください。文字よりも映像の方が伝わると思います。

という感じです。笑
新幹線を使えば東京から長野までは2時間かかりません。あっという間です。経験のある方ならご存知だと思いますが、本当にあっという間です。笑
映像の最後に出てきた植物は、見る人が見れば一発でわかる「タラの芽」と「コシアブラ」。春の山菜の二大巨頭です(私が勝手にそう思っているだけです笑)。
そして、お隣、飯縄町ではりんごの花、菜の花。信濃町の実家では山桜。ザ・春という感じですね。
今回は主に信濃町周辺の地域について書いています。地元の周辺地域を見ることで、信濃町での暮らしがより立体的に見えてくるのではないかと思います。周辺地域の中でも、まずは信濃町のお隣、妙高市(みょうこうし)と飯縄(いいづなまち)をご紹介します!

信濃町周辺地域のポテンシャル

新潟県妙高市(信濃町と隣接)

妙高山とイモリ池

妙高市は、実家のある信濃町黒姫高原から車でおよそ10分。関川という川を越えると新潟県妙高市になります。信濃町以上の豪雪地帯で、冬になると道路の両脇は雪の壁。それでも、春を迎えると美しい緑の季節になります。上の写真は妙高市にある妙高山とイモリ池。新緑と妙高山の山頂付近の残雪のコントラストが美しくて好きです。この季節も美しいですが、秋になると一面紅葉で一枚絵のような景色に。(その景色は秋にお伝えします!)
イモリ池には文字通り、イモリ(アカハライモリ)がたくさんいて、子どもの頃にはイモリを探しによく遊びにいったものです。

こちらは絵ですがツキノワグマの剥製もあります!

イモリ池のすぐそばにあるのが「ビジターセンター」。イモリ池周辺の動植物の剥製標本や写真のような図解資料など、充実した展示となっています。数年前にリニューアルし、現在はアウトドアショップやカフェも併設しており、連休は観光客で賑わいます。海外のお客さんもたくさん。写真はありませんが、昆虫標本やツキノワグマの剥製など、今にも動き出しそうな展示ばかりで、(私は)1日いても飽きないという感じです笑。
リニューアルで施設自体はとても美しくなったのですが、個人的には、建て替え前の古いビジターセンターの方が好きだったな、と思います笑。子どもの頃、何度も通った思い出があるからでしょうか。少なくとも100回は行ったと思うのですが、よく父は嫌な顔ひとつせずに連れていってくれたなと思います。父の日を前に、父に感謝です笑。(しっかりプレゼント準備しないとな笑)

苗名滝。雪解けの季節は迫力満点。

続いては苗名滝(なえなのたき)。イモリ池から車で約10分、加えて徒歩で約20分程度のところにある滝です。特に春の雪解けの季節は、雪解け水によって水量が増え、迫力満点です。写真は少し離れていますが、水飛沫と水が落ちる地面の振動を感じるところまで近づけます。この滝の上にイワナやヤマメがたくさんいるという噂は聞いているのですが、まだ釣り糸を垂らしたことはありません笑。
※ちなみに、「滝」の定義の一つは、「4メートル以上の高さがあるか」それ以下は「ドロップ」と言います。大学生の時に四国の吉野川でラフティングガイド試験を受けるときに覚えた知識のひとつです笑。


笹ヶ峰高原の景色
水芭蕉
カタクリの花

苗名の滝から1時間ほど車で登ると、開けた場所にでます。笹ヶ峰高原です。標高が高く、空気が澄んでいて、僕の大好きな場所の一つです。僕が子どもの頃、実家のペンションに遊びに来てくれたお客さんと一緒に何度も通った思い出深いところです。

山椒魚(上の白色)と蛙(下の透明)の卵
ニホンザルと目が合う

やっぱり信濃町(やその周辺地域)に暮らしていて感じるのは、人間っていうのは他の生き物と一緒に暮らしているんだなということ。春になれば水たまりに山椒魚やカエルの卵があるし、気づけばオタマジャクシになって、カエルになって毎晩大合唱。山に入れば猿とかキツネとかタヌキとかが普通にいて「なんでここにいるんだよ」的な目でこっちを見てくる笑。
都会で生まれ育った人に話すと驚かれることが田舎には普通にある。豊かさの定義は人それぞれだと思いますが、僕は「田舎は豊かだ」と思います。

長野県飯綱町(信濃町と隣接)

飯綱町の風景

続いては、これも信濃町のお隣、飯綱町です。私が子どもの時に「三水村(さみずむら)」と、「牟礼村(むれむら)」が合併して誕生した町です。信濃町よりも雪が少なくて、「里山」をイメージすると頭に浮かぶ景色がたくさん残っているステキな町です。実は、僕が3歳から6歳(7歳?笑)まで通っていた幼稚園のある町でもあって、たくさん思い出のある町の一つです。

いいづなコネクトEAST

町では廃校を活用した取り組みも。「いいづなコネクトEAST」は、廃校をリノベーションしてサテライトオフィス、カフェ、ビール醸造工場として利活用していました。東京に住んでいると、こうした取り組みをネットの記事で読むことはあっても、実際に行ってみないとわからない空気感、気づきがあって、大変勉強になりました。

建物内のカフェの雰囲気もGOOD

子どもからお年寄りまでゆるっと過ごせる雰囲気で、いつまでもいられる感じ。(元)小学校の中で、カフェで入れてもらったコーヒーを優雅に飲むという、「俺は大人になったぞ」という気分も味わえるのも面白かったです笑。

飲食・作業スペース

何時間でも仕事ができそうな空間。窓の外には気持ちのいい景色が広がっていて、疲れたら気分転換に散歩に出かけたり、ただただ景色を眺めたり、想像が膨らむ場所でした!
地方で課題となっている廃校の利活用ですが、いいづなコネクトのような使い方で、地域に新たな人の流れや仕事、人同士のつながりが生まれてくると面白いなぁと思います。
飯綱町にはまだまだ紹介したいところがたくさんあるのですが、書き出すと止まらなくなってしまうので今回はこの辺で。

やっぱり、仲間って最高だよね。

大人になっても運動会で盛り上がれる仲間

体育館で中学生に戻る26歳たち

「運動会でもしますか!」「やろうやろう!」
と、LINEのやり取りから始まった98年信濃町生まれ26歳が集まった運動会。声をかけて集まった10人くらいで約3時間ひたすら運動会。「これは筋肉痛になるわ」と無限に動けたあの頃を思い出しながら、盛り上がったことでした。
と、当たり前に書いていますが、よくよく考えると、これもすごいことだよな、と思います。私が通っていた小学校は学年1クラスで人数は25人くらい。都会の、たとえば、学年5クラス200人のような環境と比べると、圧倒的に同級生と仲良くなれます笑。一言でいうと、みんな家族のような感じです笑。誰がどこに住んでいて、得意科目は何で、嫌いな食べ物はあれで、早起きが苦手で、だけどいいヤツで、、、、結局みんな仲良いじゃん。みたいな深いつながりができる、田舎の学校ならではのいいところだなと思います。僕は信濃町で子ども時代を過ごせてよかったと、心から思います!(東京に住んでいると、生まれも育ちも東京!みたいな友達もできて、彼らの話を聞ききながら、都会で育つのも面白そうだな、と思うことも、、、笑)
そして、信濃町で生まれ育って良かったと思ってくれる子どもたちが、これらかもいてくれると嬉しいな、とも。(そんなことを思う歳になってしまった、、、笑)

まとめ

やっぱり野尻湖が気持ちいい

以上、長々と僕のゴールデンウィークの紹介でした!笑
「信濃町で暮らすということ」という壮大なテーマですが、かなりミクロな話になってしまいました。
ただ、「よくある田舎暮らしってこうだよね」みたいなマクロな一般論よりも、長野県信濃町で育って、高知県で大学生活を送って、東京で仕事をするようになった、私自身の目線で、そして何よりも等身大で書くことを大事にしているところもあって、こんな感じの書き方にしています!もっと信濃町の暮らしについてしっかり書いてくださいというご意見、ありがとうございます笑!これからしっかり書いていきますので、これからもお付き合いいただけますと幸いです!
さて、次回は6月の「梅雨に入る前の信濃町」をお届けします!
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございます!

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