「課金するやつが評価されるコミュニティ」が「課金しないやつには人権がないコミュニティ」の裏返しになりませんように。
안녕!カズキです。
連日盛り上がっているPocochaは素晴らしい。
一方で、リスナーたちのPocochaに費やした時間が、あるいは推しさんに熱中した想いが下火になり、「あれなんだったの」ってシーンは寂しいっすね。
また、ライバー側にも寂しさを感じることがあって。
ある人は美しさが。ある人は歌声が。トーク力が。
その持って生まれた才能にふさわしい評価と対価を得ることは当然です。
そんな才能溢れるライバー達ですら、毎日戦うメーターのプレッシャーに晒され、集客の問題に直面し、ロング配信根性バトルが常態化している今のPocochaに病み疲れて、配信から去っていく。
過呼吸を起こして倒れるライバー。
喉が潰れるまで歌い続けて、ガラガラ声のライバー。
枠の運営方針でファミリーと衝突するライバー。
ライバー事務所との確執で泥沼退所騒動など。
今日も今日とて、Pococha界隈にはドラマが溢れています。
ビジネス的に考えても、緊急事態宣言が解除され、いわゆる巣ごもり需要が縮小している昨今、一度人気が出たPocochaでNewアイテムをリリースしたり、イベントを乱立してメーター争いを激化させることで、アプリを長生きさせるのは理にかなっている。
この方向性は良い。一種の競技化なんでしょう。
ただ、ふっと思ったんだけれども、「課金してアイテム投げる奴が評価されるコミュニティ」って、ひょっとして「課金しないやつには人権がないコミュニティ」の裏返しなんじゃないかなって。
つまり、課金して爆投げするリスナーがモテるコミュニティとは、課金できなくなったその日からモテなくなるコミュニティのことなんじゃないかなって。
出涸らしたリスナーはコメントすら読んでもらえないってゆうか。
その寂しさを埋めるためにやり続けるロイチャ。
課金につぐ課金で生活破綻するリスナーもいたり。
今の時代、楽しいコンテンツが溢れに溢れてる世の中なんだよね。
その上で、自分が息抜きにしているPocochaの中でまでヒエラルキーをつけられ、カースト雑魚化していくのはしんどいってゆうか。
育児、勉強、仕事。などなど。
Pococha以外にエネルギーを注がなきゃいけないタイミングで、コイン(アプリ内通貨)なくなり次第「ここは君がくる場所じゃない」とか「やる気あんの?」と言われてもダルいってゆうか。
「課金額をみれば女の扱いがわかる」とか「推しさん一人大切にできないやつは、実生活でも女を幸せにできない」という、リス活が人格とイコールにされる世界線の到来も見えていて。
そうなったら課金ができなくなったリスナー。
『スラムダンク』でいうところの「赤木、おまえと一緒にバスケをやるのは息苦しいよ」なのである。
笑いごとではない。あなたも私もそうなのである。
明日は我が身ってなもんで。
課金する奴が評価されるコミュニティはもちろんいいんだよ?推しさんを応援するのはいいことよ。
しかしそれが、課金できなくなった奴の発言権をなくしていく世界線とセットではありませんようにと思っただけ。
みんなできる範囲で楽しめたらいいよね。
「BOX回収すれば済むこと?」
うるせぇ時間がねーんだよ。
そんなとこっすね。
じゃ、またねー