「人の繋がり」によるネットワークの形成
様々な人との出会い、それらは私たちに新たな発見や感動と様々なものを与えてくれる。私はそんな人との繋がりの凄さ、つまり人脈を形成することの衝撃を過去にまじまじと体験した経験がある。
私は現在高専に通っている建築学性であるが、その高専で毎年一回開催される全国高等専門学校デザインコンペティションというコンペがあり、これはそうした過去のコンペ時のリサーチ段階での体験である。
コンペの分野も様々あり、私は当時空間部門に取り組んでいたのだが、その時の題材に学校の近くにある神社をモチーフにして作品作りをしようと考えていた。当然その神社について、リサーチし情報を集めて下調べすることから始めるのだが、問題は起こった。
下記が実際の神社の画像である。
情報化が進んだ現代において、ほしい情報はネットを使えばある程度手に入る時代である。しかし、その神社についてはネットで調べてもこれといって、情報が少なかった。では、「なぜその神社を選んだのか?」と思う人がいるだろう。理由としては、その神社が結構すごいところだという話を研究室の教授から聞いていたからである。けれども、なぜそこがすごいのか?理由を聞いても具体的なことは知らず、そして何よりネットにも情報がなかった。こうなるとアナログな手法である書籍によるリサーチとなるが、学校の図書館、はたまた市の図書館にも神社にまつわる情報が記載された書籍はなかった。困った末に当時の私は最後の手段をとった。つまりそれがタイトルにもあるように、「出会いによるネットワークの形成」つまり、人脈による情報探求の構築である。
まず、最初にはじめたことは学校内での聞き込みである。高専にはその道に長けたカリスマがたくさんいる。そこからまずあたるべく日本史の教授、現代社会の教授と次々に聞き込みをしていった。しかし、全くといっていいほど情報を得れず、学内では駄目だった。そうすると、最後に残すは地域に出ることである。今思い返しても、”最終にして最強”であった。結論最初からそうしていれば良かったと思うが、やってみて経験しなければわからなかったことでもあるため、そこは仕方がない。
正確には覚えていないが、50人くらいには地域の方に聞き込みしたと思う。覚えてる限りだいたいであげていくと…
・近所のおばあちゃん。
・近所の商店に屯し雑談を交わすおばちゃんたち。
・庭で何かしてるおじちゃん。
・実際に神社の宮司さんに話を聞く。
・神社の周りの畑しごとをしているおじいさん。
などなど…
実に様々であるけども、不思議とたくさんの人に聞いて行くうちに情報を持っている人から更に詳しい人とドミノ倒しのように連続していった。ある人に聞けば、「私より詳しい人がいるからあそこのAさんの所にに行ってみない。」その紹介された人の所に行き話を聞けば、「私よりもあそこのBさんの方がもっと詳しいよ。」と人のネットワークが構築されていった。最終的に「その神社を語らしたら右に出るものはいない。」と言われている人のもとにたどり着いた。
リサーチを終え、私は神社についての知識量を大幅に蓄えていた。結果的にネット以上の情報量を得たのだ。そして、調べた内容は今でも覚えている。やはり、印象深い出来事や刺激的な出来事は忘れにくい。情報を得るまでに経た経緯はその後の価値を決める。苦労して手に入れた情報ほど忘れにくい。いわば”体が覚えている”といったところである。このように、現代では情報を簡単にネットから得ることができるが、ネットも全知全能ではない。当然調べても出で来ない情報はある。そうした時に役立つのは人脈というネットワーク。こうしたことからひとつ言えることとして…
”いつの時代も出会いは最強である”
それではまた…
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