適当な笑顔ではなく、本当の笑顔を届けるには自分の怒も哀しみもしっかり味わう
「笑顔と安心」が得意なので、喜怒哀楽の「怒」と「哀」を飛ばしてしまいがちの人生でしたが、感情はどれも良い悪いなく、違和感を感じないふりをすることが結果、澱を溜めてしまう結果になることを知ったこの数年。
気づかないふりをすれば、小さなしこりがやがて大きくなり、近しい間柄であればあるほど、心が冷えてしまい、結果魂が死んでしまうという、なんとも怖い・・・
っということを、「まず知る」😊
知ってしまったら、小さな実験を繰り返す。
「それってこういうこと?」
「この言葉、悲しかったんだけど・・・」
言葉にするのは怖いけど、魂が死ぬのはもっと怖い😢
そして大きな山は小さく崩せで、小さな段階で違和感に気づくのがベター
この数年は何度か、うっと言葉が詰まるような「かずみん死す」を繰り返したけど
「死す」を繰り返すたびに、魂のスタミナはついて行きます。
そして、怖がりながらも言葉にすると、意外に「え?そうじゃなかったの?」ってこともあります。
問題は相手じゃなく、自分が自分の大事な想いを蔑ろにしている場合が多々あります。
大事なのは肌感覚や空気感。
肌感覚や空気感に違和感を感じなければ、その関係性は信じることができるし、違和感を拭えなかったら拭えるまでとことんやるか、関係性を諦めるか・・・
・・・っと言うような、関係性を諦めるに至ったことは未だありません😊
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大事な人に対しては、それでも「笑顔と安心届けます」と腹を括ったら、それはそれで良い関係になりました。
これは例えば義母との関係^^
中途半端な笑顔と安心は中途半端な結果しか産まないけど、本気は本気でちゃんと良い関係性をつくります^^