ワインと漁火
時々何かに取り憑かれたかの如く自室の机や本棚他を整理することがある。僅か三畳余のスペースではあるがそこに自分の全ての歴史が渦巻いている。夥しい量の写真、映像媒体、何かが書かれているたくさんの原稿用紙。関わったイベントの記録、それらが記された新聞、安物の腕時計、たくさんの筆記用具など。据え置いた本棚と壁に取り付けた本棚、ざっと今、数えてみると1000冊ぐらいの本がある。目につく背表紙を書いてみる。
足のかかとをかじるイヌ
ハーケンと夏みかん
馬追い旅日記
庭仕事の楽しみ
空飛ぶ寄生虫
空飛び猫
2/2
大あたりアイスクリームの国へごしょうたい
これらのタイトルから作者や内容がわかった人は素敵。概ね八割方エッセイ系でそのうち八割方がアウトドア系若しくはその類だ。生きるために無用の知識を脳にインプットする本ばかりで、無意識に脳に押し込むと有用な知識が押し出される。仕方がない。
両袖机、左右に三段ずつと、真ん中に一つの計六段の引き出し。中の全てはがらくた。
子供のおもちゃ箱と大差がない。整理する度に捨てるか捨てないか迷った末にまた仕舞い込むから言わば厳選されたがらくたである。まず目につくのは小石。
旅先の海山川で拾った味のある小石。これらは思い切って捨てる。と言っても廃棄先は、自宅の小さな庭先。
廃棄物処理法違反で捕まらない。これはむしろ加害者、被害者双方になる。中でも新潟県糸魚川市のは海岸で拾った石はなかなか捨てられない。糸魚川と言ったらフォッサマグナを連想する方も多いと思うが、
※「天然ラジウム鉱石として微量の放射線を出すため、新潟県糸魚川の地域では、古来より姫川薬石を患部にあて、怪我や病気の治癒に使われてきました。微量の放射線が人体を刺激し、生体を活性化させ、生命活動にとってはかえって有益であるという考えを放射線ホルミシス効果といいます」
などとのそれらしき知識はあったので拾ったのだが、その鉱石は稀であり、でたらめに拾ったその鉱石から放射能が出ているかは不明である。と言うかそのはずはあり得ない。たぶんきっと出ていない。そいつも捨てた。しかし僅かに期待もあった。もしかしたらその残渣を含んでいるかもと思ったからだ。
次に出てくるモノは刃物である。彫刻刀、小型ナイフ、カッター、棒ヤスリなどなど。これらは昔、栗の木のインゴットを買ってきて彫刻作業に夢中になっていた時がありその名残。刃渡り16センチ以下であるから銃刀法には掛からない。夜な夜なベランダでカリカリ、トントンとコンドルやイヌの彫刻作品の制作に明け暮れていた。いちばんよく出来た自信作を玄関の下駄箱の上に飾った。栗の木は硬いので力任せに彫っていたら左指をグサリとやった。結構な出血。自信作の南米、孤高のコンドル、しかも血痕付き。訪ねてきた友達に、これを見ろ、と得意になって言ったら、ニワトリか?と言った。
刃物は捨てられないというか捨てづらい。ゴミを回収する人や処理する方々への心配がよぎる。だからなかなか捨てられない。いろんなものが出てくる。当時の自分あてのきれいな封筒、便箋の手紙、未現像のフィルム、古銭、ギターピック、ブルースハープ、特にハープは全キーが出てくる。しかも全部サビている。あってはならないお菓子。引き出しにさらにあってはならない瓶に詰めたパラフィンオイル(火気厳禁・ランプオイル)ドライバー、特殊な工具など。手紙に関してだが綺麗な封筒に入った手紙見て見ぬ振りをすることを、そのときようやっと止められた。そこには、とても個人的な気持ちが大切に連ねてあった。その全てがもはや今の僕に宛てられたものではないことが滑稽だった。
眺めながら整理していると時間だけが刻々と過ぎてゆく。
結局、その半分以上はガサガサとまた引き出しに戻すのであった。行方不明だったワインオープナーが出てきた。何故こんなとこに。
日本海の見える宿で漁り火を見ながらワインを飲んでいたいつかの夜を思い出している。
全てが遠い記憶。