京都市京セラ美術館:特別展「跳躍するつくり手たち」で過ごした”時間”
突然ですが「時間」とは何でしょう。
「物事は”ある”と私たちが認識した時点でそこに存在する」という哲学、つまりはデカルトの「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」に則ると私たちが「時間と認識しているものが時間」ということになるかなと。
では、何を以って時間と認識しているか。
古くから時間については議論が繰り返されており、アリストテレスは「時間は一種の円である」なんて言ったり(季節も天体も巡るので)、分かりやすい例えで言えば、死後にも世界があるという宗教的な概念「直線・または線分的な」時間の捉え方が一般的だったりもします。
恐らく私たちのほとんどが「線」であるという認識で、現在という点を通り過去と現在を結んだものが「時間」だと認識しているのではと思います。
しかし「時間は瞬間瞬間の点に過ぎない」といった見方はどうでしょうか。
つまり線でもなく、循環でもなく、繋がってもない"この瞬間"の集合体を指すと。
さて、前置きが長くなりましたが、京都市京セラ美術館で開催中の「跳躍するつくり手たち:人と自然の未来を見つめるアート、デザイン、テクノロジー」の備忘録です。
ゴッホやピカソなど有名な展覧会は、作品の説明こそあれど彼らの言葉を聴くことはできません。だからこそどっぷりと自分の感覚に身を委ね、その世界で遊ぶことができます。
しかし、今回の展示は全て、今現在活躍し今現在も考え、創作し、表現する方々の作品。ゴッホやピカソを見る時と同様に自分の感覚に問いかけ、戯れる一方で、どうしてもアーティストの方々の「瞬間」「瞬間」を理解してみたいという欲が出てしまうのです。そして自分なりの理解できるのかという緊張感と。
そんな"瞬間"の世界の中で私の心に残った作品をいくつか備忘録として残しておきたいと思います。
【木工職人:中川周士氏の作品】
「作り手の考えを木に押し付けるのではなく、木の魅力を最大限に引き出したい。出会った木との共同作業として、新たな魅力を生み出す」という中川氏の想いと「柾合わせ」という年輪の方向を合わせて寄せる技法とのコンボで生まれた作品は、向き合うものへのとてつもない敬意を感じました。切られたときから乾燥し縮んで行く木が「柾合わせ」という技法により木の割れや狂いを最小限に抑えることができるそうです。
あぁ人間もそうだよねと。時間が直線的だとすると生まれた瞬間、死に向かっている。ただそうやって進むときの中で、あらゆる人の想いや同じ方向を向く人との接点により、素晴らしい「自分という人生の」そして「社会との調和」という作品へと昇華する。
私は出会った人やモノと作品を創り残していけるかな。
自分の使命の中で「自分の考えを周りに押し付けるのではなく、それぞれの魅力を最大限に引き出したい。出会った方々との共同作業として、新たな魅力を生み出したい。」中川周士さんの言葉を借りてしまいましたが、改めて強くそう思いました。
【アーティスト:井上隆夫氏の作品】ブロークンチューリップの塔
まだら模様の花びらのチューリップが発見されるや否や、人々はその新種に沸き、一時期は球根一つで家が一軒買えるほどの高騰ぶり。マネーゲームにまで発展したこの球根のまだら模様がウィルスの仕業と判明すると今度はウィルスの撲滅に躍起になり、あるところでは忌み嫌われるかのように存在を消されるまだら模様のチューリップ。
そんなまだら模様のチューリップをアクリルに封入し塔として存在しているこの作品。
「存在」とは認識によってこうも異なるのかと。では自分は物事をどのように捉え、どのように認識しているのか。
いつの間にか吸収し、自らが形作った既成概念の"外"にあるものにこれからどうやって繋がっていくのか。
これは自分の課題でもあり、自分が所属する社会の課題でもある。(注:"問題"ではないです)
そういう思考がぐるぐると巡り、この作品の前からしばらく動けませんでした。
時間はやはり線なのでしょうか。瞬間瞬間の集合体なのでしょうか。だとしたら、この瞬間、自らを変えていくことはできる。そう改めて感じた"時間"でした。
ちなみに、チューリップの花びらをまだら模様にしたウィルスは人間の攻勢にも関わらず未だ撲滅してないそうです。さてこれをどう捉えるか😊
美術館はアートを通じて、自分の深層ととことん向き合う場所なんですよね。
アートに込められた何かが、アートに現れる美が、時に私に体当たりして激震を与えてくれ、時に釣り針のように私の中の何かを釣り上げてくれ、そしてどちらにしても私の中にあるアツい想いに火を灯してくれる。私の中にある柔らかい部分をさらにしなやかにしてくれる。
"時間"は私にとっては瞬間瞬間の集合体です。
過去と未来と現在に関連性はなく、関連性を持たせるのは私だけ。瞬間瞬間の煌めきと輝きと温かさと豊かさがプラネタリウムのように無数に散りばっている中で私はこれからも生きて行きたい。
最後にここに挙げられなかったけれどたくさん私に優しさと温かさを下さった参加アーティスト全ての方々に心から感謝を。
ありがとうございました✨