「産まれた順番」で損得はある?
子ども達の性格について、「男の子らしい」とか「女の子らしい」なんて言うことをよく耳にする。性別を持ち出した時点ですでにジェンダーバイアスにとらわれている様に思うが、他にも例えば、「ひとりっ子」については、「わがままになりやすい」とか「甘やかしがち」だなどと、ネガティブな事を言われてしまう事がある。
これらと並んで、よく耳にするのが「産まれた順番」によって性格が決まると言う話で、「長男らしく大人しい」とか、「三番目は甘ったれだ」などなど。小児科外来でのお母さんたちとのたわいのない会話の中でも、結構「性格」がどの様にできあがるのか、って気にしている人は案外少なくないように思う。
実は、出生の順番が子どもの性格に与える影響についてはかなり古くから関心が寄せられていて、すでに膨大な研究が行われてきた結果、大まかな所で、出生順は子ども達の性格には影響していない、と言うのが結論の様だ。
しかし、それでもなお、この様な言い方や決め付けがなくならないのは、こんな見方が、もうすでに広く「育児の神話」として定着してしまっているからだろう。
根拠があろうとなかろうと、そう言われてしまえば、気になってしまうのが「神話」の厄介な所だ。
それに…学者さん達の研究結果はともかく、日々、子ども達と暮らしている中で産まれた順番が性格に影響しているんじゃないか、と何となく実感(?)できる部分もあったりするから、そう言われても、ねぇ……と言ったところだろう。
でも、そもそもどんな所から、影響がありそう…と思ってしまうのか。
よく長男・長女は「おとなしく、真面目」だとか「親に対して従順」だなどと言われ、第二子以降の子どもについては「気が強い」とか「反抗心が強い」などと言われるが…これって、順番の問題なの?
確かに、「最初の子ども」は親もその周囲の大人たちも目をかけやすいのは事実。それは子ども達のアルバムの数やそこに貼られた写真の枚数、母子手帳の書き込みの多寡なんかからもうかがい知れる。
でも、「性格」となると、どうだろうか。
「性格」に影響しているのは、産まれた順番云々よりも、親子や周囲緒大人たち、そしてきょうだい間の「一人対一人の人間関係」なんじゃないかと思う。
例えば、よくある「父親や母親とうまく行かない」と言うのは、産まれた順番よりもむしろ「一人の人間」としての父親や母親とぶつかってしまう、と言うことなんじゃないか…
きょうだいの数が多ければ、その分、育児に追われてしまって、親の目の届かない所も出てくるだろうけど、きょうだいが多いと言う事は、それだけ家族内の人間関係も複雑になると言う事。
やはり性格には、産まれた順よりも日頃の人間関係の方が大きく影響している様に思う。
家族の問題と言えば、少子化の進んだ最近でこそあまり言われる事が無くなったが、私たちの社会の仕組みとして長らく存在している「家」制度、特に「長男が継いで行く」と言う仕組みも「長男らしさ」なるものを外側から押し付ける要因として大きかったのではないか。この辺り、母系社会か父系社会かなど歴史的な変遷を辿ってみるのも面白そうだ。
人間関係と言えば、家族内だけではなく、家族の外の影響も無視できないだろう。
もともと子どもには持って生まれた「気質」があり、それにさまざまな経験などが加わる事で次第に性格が形作られて行くと言われているけれど、子ども達が接する家族以外の社会として、保育園や幼稚園での集団保育の影響は想像以上に大きい。例えば、どんなに年少の子どもでも、集団で見せる顔と家庭内、特にお母さんやお父さんに見せる顔が違っている事は珍しくなく、保育園では「大人しく聞き分けのいい子」が、ウチではワガママでほとほと困っている、なんて言う経験をお持ちのお父さんお母さんも少なくないだろう。
「ルールを守る」など、いわゆる「社会性の獲得」はヒトの発達の最終段階だ。家族から離れて集団に入った2、3歳の幼い子が、口に出すことができずに精一杯ガマンしている姿は何ともいじらしい、なんて言っていないで、それが子ども達の性格形成に影響するのだとしたら、なおさら「一人の人」として彼らに接する事が大事なんじゃないか。
集団で育ち、集団社会で暮らす私たち人間の特徴として、自分たちを取り巻く環境から受ける影響は、私たちの成長発達にとって決定的に大きいのではないだろうか。
「出生の順番が性格に影響する」なんて聞くと、自分自身のことを考えても、子ども達の日頃の関係を考えても、なんだか心がザワつくけれど、ヒト一人が成長して大人になって行くのに、性別だの産まれた順番などよりも、歳とともに拡がって行く周りの人たちとから受ける影響の方がよっぽど大きい。
だから、長男とか次女とか気にするよりも、一人のヒトとして、子ども達と向き合って、体当たりする事がもっと重要なんだと思う。