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性格はキャベツの様なカタチをしている?
同じ親から産まれてきたきょうだいでも、一人として同じ性格の子どもはいない……なんて、考えてみると、なんだか不思議な気がする。
性格って、一体、いつ、どこで決まるのだろうか、なんて考えた事ありませんか?
真面目、不真面目、几帳面、いい加減、細かい、大雑把などなど、人の性格は千差万別。一人として同じ性格の人はいないからこそ、人は誰も唯一無二のユニークな存在だし、それがまた、時にはヤヤコシイ人間関係の元にもなって、この「性格」って言うのは、なかなか厄介な存在だ。
「どうしてこんな性格になんだろう」
「この性格を変えたい」
「もっと几帳面な人になりたかった」
……などなど
こんな風に性格についてはしばしばネガティブに語られがちだけど、それだけ自分の性格に納得していない人が多いって事なのかもしれない。
実は「性格」は生まれながらに決まっているわけではない。
性格には、もともと持って生まれた部分と、その後の成長や経験によって付け加えられる部分があって、それらが折り重なってゆく。そう、言うなればキャベツの様に、さまざまな要素が折り重なっている。そして、葉っぱが巻かれてキャベツが大きくなってゆく様に、性格も生まれながらに固定されたものではなく、成長とともに年々歳々、変わって行くそんな構造をしているそうだ。
特に成長著しい子ども時代は、家庭や学校など日々の出会いや生活の中で、性格もまた歳とともに次第に成長しつつ変わって行く。
ただし、その真ん中、文字通り「芯」の部分は生まれながら変わる事がなく、これが「気質」と呼ばれている部分だ。
すでに何層もの葉っぱにくるまれてしまった大人と違い、子どもの場合は「芯」である気質を周囲の大人たちがストレートに感じ取りやすい様で、「この子はおにいちゃんと違って敏感で」とか「下の子にも泣かされちゃう様なおとなしい子で」などと、お母さん達が語ってくれる我が子の様子は、その子の気質を敏感に感じ取って、と言う事だろう。
こんなこの子ども達の持って生まれた気質を知り、気質に合わせた付き合い方を工夫してみる事ができれば、ゆとりを持って子ども達の成長を見守れるのではないだろうか。
「気質」そのものには9つの形があると言われているが、子どもの気質は、その組み合わせから「育てやすい子」、「育てにくい子」、「慣れるのがゆっくりな子」、「平均的な子」の4つのタイプに分けて語られている。
「育てにくい子」とは、睡眠や食事が不規則だったり、不快な事に敏感で、すぐに泣いたりぐずったりしがちな子、「慣れるのがゆっくり」とは、何か新しい事に取り組もうとすると、なかなか手を出せなかったり、そもそも新しい事には手出ししようとしない、そんな子どもで、何をするにも時間がかかる、と言う子。
これら気質のうち最も多いのは「育てやすい子」で、ついで「平均的な子」だと言われ、この二つのタイプがおよそ3/4。残りの1/4が育てにくかったり、万事マイペースなど、親から見ると「手のかかる子」と言う事になる。
診察室で子育てに疲れきってしまい、子どもとどう付き合ったらいいのかと悩むママやパパの話を聞くと、ただでさえエネルギーが必要な子育てに加えて、この「手のかかる」子ども達との付き合いに振り回されている事が少なくない様に見える。特に子どもの数が少ない昨今、どうしても「良い親」になろうと知らないうちに力が入ってしまって、親の方が一杯一杯でにっちもさっちも行かなくなって、ついイライラして子どもにあたってしまったり…
「ウチの子はなんだか手がかかるなぁ」なんて感じた時は、それを変えようとするのではなく、「手がかかる」事を前提に、どうしたら良い関係が作れるか、を考えてみるのが良いのではないか。例え、それには多少手間暇かかったとしても。
どんなに手がかかる子どもであっても、子どもにとって親は必要不可欠な存在だ、と言う事も忘れずに。子ども達の反応を見つつ、こう言う事が受け入れにくいのかとか、人一倍、慎重なんだね、なんて知っておくだけで、子ども達を見るまなざしや付き合い方も変わってくるだろう。
そして、「気質」はあくまでもキャベツの芯だ。
芯の部分は変えられなくても、性格自体はその後の経験や学びによってどんどん変わって行くもの。できあがってしまった大人と違って、どの様にも変わって行ける事が子どもの大きな特徴でもある。
親として、手がかかる事をネガティブに捉えるのではなく、そんな気質を持って生まれた子ども達を知り、上手に受け止める工夫ができれば、手がかかろうとも、子ども達を見守る心のゆとりがうまれるし、その事で子ども達との付き合い方が変われば、やがてそれがまた子ども達の成長として実感できるようになるだろう。