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あの人に会いたい

みなさま、暑い夏をいかがお過ごしですか?
私は暑いので避暑地に逃れて、木陰で川に足をつけながらデジタルデトックスに励んでいる夢を見ながら、近所のスタバでパソコンでこの記事を書いています(デジタル万歳!あぁ、旅行行きたかったナ・・)。

今日は「あの人に会いたい」を書きます。

今まで生きてきて、そうそう人に会いたいと思うことはなかったんですが、コロナによって人との関係が疎遠になって、落ち着いてきた頃に少しずつ身近な人に会うようになっていったとき、あぁ、なんかあの人に会いたいな、と思った人がいました。

その人とは、大学生(*1)のとき、日本料理の居酒屋(*2)で知り合った"宮島(仮)"さん。同じ大学の1コ上の先輩でしたが、同じ頃にアルバイトをし始めたのでアルバイトの同期みたいな感覚でした。

センター分けの茶髪でメガネをかけており、ちょっと真面目に見える人でしたが、実際はひょうきんな人で、ヒョロっとして見えるかと思いきや、大学から体操部デビューで、意外に筋肉がある人でした。

居酒屋のアルバイトは初めてだったんですが、その居酒屋は、座敷がいくつもあり、刺身あり串物あり、定食もあり、カニやしゃぶしゃぶの食べ放題が売りのお店で、会社の歓送迎会にほんとによく使われていて、シーズン中はほんとに忙しかったです。

とにかくスーツを着たサラリーマンの利用が多く、梅干しが苦手な自分からすると信じられないけど、「焼酎の梅お湯割り」を好んで飲む人がわりといて、焼酎のボトルを入れている人たちもいて、サラリーマンになったら焼酎を飲むもんだと謎のバイアスを持ったのはこのときでした。

そのお店では他にも「ふぐのひれ酒」に火をつけて、匂いを楽しむなんてことや、土鍋の蓋(小さい穴が空いているのでそれを指で押さえながら飲むw)でビールを飲む方法なんてこともお客さんに教えてもらいました。

学生アルバイトはホールを担当し、みんな年が近いし、忘年会は一緒に飲みにいったりと、わりと仲が良かったのですが、このとき全アルバイトから嫌われている"B氏"というホールのおっさんがいました(アルバイトではなかったですが、社員だったかは不明)。

何が嫌われていたかすっかり忘れてしまったのですが、頭ごなしに言うてくるのが腹たったのか、嫌がらせみたいなことをしてくるからだったのか、そのくせ、社長や常連の人に愛想よかったりと、ほんとにその人が嫌で嫌で仕方がないという状態で、なんかほんとに嫌だったように思います。

そんな中、ある日、(その日もB氏にひどい扱いを受けていたと思いますが)着替えて仕事をあがろうとしたとき、宮島さんが「モリくん、ちょっと飲みにいかん?」と声をかけてくれたことがありました。

当時は大学生だったこともあり、サシで誰かと飲みにいくこともないし、個人的にそういうのが好きでもなかったんですが、夏で暑かったし、断る理由もないし、なんとなく行くことにしました。

っで、飲みにいった先で、宮崎さんが生ビールを一口飲んで、「あのB野郎」とB氏について文句を言い出したので、あ、つらかったのは自分だけではなかったんだなと一気に気持ちが楽になった気がしました。なんか、お互いにB氏の文句を言えてすごーくすごーくスッキリした。

それ以来、B氏にムカついたとき、バイトあがりに自分のほうからも飲みに誘ったり(誰かを誘うなんて、当時の自分からは相当珍しかった)、誘われたりが続いて、すごく救われたし、楽しかったし、そんな人は後にも先にもあの人だけだったなぁと。

当時は、SNSもFacebookもなかったし、今となってこんな気持ちになるとは思いもよらなかったけど、なんとか出会える方法ないかなと思って、この記事を書いてます。

『宮島さん(仮)、これ見たらコメントください〜』

※そんな気持ちとは別に、バイト先であるその日本料理の居酒屋に、社会人になったら顔をだしたい、当時の美味しそうな串の盛り合わせを食べたい、つくねが食べたい、「さわ豆腐」を食べたいと思いながらも、ようやく妻と行ったのが、20年以上経ってからでした。。

お店も当時の場所から移っていて(よくぞ残っていてくれたと思うけど)、メニューも変わっていて、「さわ豆腐」もなくなっていて、もっと早く来れば良かった、少なくとも20代のうちに来ればよかったとめちゃくちゃ後悔した。

※でも、ダメ元で「さわ豆腐」がないか聞いてみたら、ホールの人がかけあってくれて(注:B氏ではない)、まだ働いていた社長が作ってくれて、社長と少し話せて良かった(もちろん、向こうは覚えてなかったけど)。

*1:静岡大学
*2:静岡駅近くにある「日本料理 さわ」



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