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ドイツ現代美術の素描・アンゼルム・キーファーを通して

2024年にアンゼルム・キーファーの1998年以来となる個展が東京・青山の「Fergus McCaffrey」で開催されていた。
さらに、映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』が全国で公開され、2025年には二条城での大規模個展も発表されるなど、近年日本で積極的に紹介されている作家だ。

新表現主義の作家としてだけでなく、現代美術全般において最も注目されている作家の一人でもあると言っても異論はないだろう。

戦後ドイツは世界的に影響力を持つ芸術家を多く排出してきた。
今回とりあげるアンゼルム・キーファーはもちろん、ゲルハルト・リヒター、ハンス・ハーケ、ゲオルグ・バゼリッツと名前をあげればきりがないほどだ。

これらの作家の全てを扱うことは私にはとてもできないが、アンゼルム・キーファーという戦後ドイツを代表する作家のフィルターを通して戦後ドイツの美術の原動力を考察してみたい。

というのも私は幼少期からこのドイツという国に非常に惹きつけられてきた。そしてその理由が、彼ら現代ドイツ作家の取り上げる主題の中からすくいあげることのできるものであるように感じるからだ。


ナチスを題材にするということ


キーファーは2020年にはフランスのマクロン大統領から依頼を受け、パンテオンに設置する作品を作成した。

さらにジョルジュ・ブラック以来、現代アーティストとしてはじめてルーヴル美術館から恒久設置の作品を依頼されている。

現在では世界各国で高い評価を受けているが、彼の画家としてのキャリアにあるのは栄光だけではなかった。

キーファーは1990年代にアメリカではすでに「コンテンポラリーアーティストの中で、もっとも偉大な作家のひとりである」と評価されていた。

その一方で1991年にドイツで開催した展覧会『Anselm Kiefer : Nationalgalerie Berlin 1991』は不評に終わってしまった。

原因はキーファーが60年代後半から70年代後半まで、ナチスに関する多くの作品を残していることに関連しているだろう。

ヨーロッパの各地でナチス式敬礼をした自身の姿をおさめた写真シリーズ「占拠」は多くのドイツ人からの反発を招いた。

※映画『アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家』より

その後もナチス・ドイツの無謀なイギリス上陸作戦「あしか作戦」を主題とした作品を発表。
一時はキーファーはネオナチである、という評価までされたほどであった。

しかし、芸術分野に限らず第二次大戦を経験した、戦後ヨーロッパの人々にとってナチスの記憶は逃れることのできない現実の問題であったはずだ。

それでも経済的に発展し、物質的に豊かになるにつれて、その記憶が少しずつ希釈されていくという感覚が、彼にこれらの作品群を作らせたのであろう。

実際に彼は自身がネオナチとされることに関して、肯定も否定もしていない。
映画の中でキーファーを演じるダニエル・キーファーがセリフで「私がネオナチだと肯定することも、否定することもネオナチの人々を怒らせるであろう」と表現している。

ある作品が1つの事柄を描き出すことから、より普遍的な命題を提示する時。
作品の中の『不在』が問題として取り上げられることは少なくない。

例をあげるならゲルハルト・リヒターの連作『1977年10月18日』のケースも同様だ。
この作品ではテロ行為の加害者のみを描くことで、被害者の不在が物議を醸しテロリズムの称揚であるとの批判の対象となってしまったのだ。

我々の国、日本でもアーティスト集団Chim↑Pomが原爆ドーム上空に、飛行機雲で「ピカッ」という文字を描き出して大きな問題となった。

※Chim↑Pom 広島の空をピカッとさせる

しかし、これらの作品に共通する要素こそ、現代芸術の1つの原動力であることは間違いないであろうと私は考えている。
今日芸術作品は宣伝媒体やプロパガンダの対象であることを辞め、我々が内に抱え込む問題をえぐり取ろうと試みる。

そのプロセスは時に鑑賞者を徹底的に追い込むであろう。
しかし、そうすることで人は自身の歩く地平を再び確保するのではないだろうか。

その根幹に現代ヨーロッパの人々は、常にナチスの記憶を携えている。

リヒターは2014年に大作ビルケナウを発表したさい、この絵画作品にインスピレーションを与えた「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の写真についてこのように語っている。

『私はこれらの写真を基に描こうと思った、しかし描くことはできなかった』

もちろんドイツ人以外の作家でもナチスを主題の1つとして扱う作家は現れた。

例えばクリストとジャンヌ=クロードは、ライヒスタークを「包む」ことで第三帝国とその後の東西ドイツの分断の歴史に再考を促した。

世界第三位の経済大国となったドイツは、EU圏を支えるというかたちで戦争に対する贖罪を続けている。
現代のアーティストにとってもナチスの記憶は、今なおその制作の原動力として大きな影響力を持っているであろう。

マルティン・ハイデガーについて


※マルティン・ハイデガー

『存在と時間』で思想界に大きな影響を与えたハイデガー。

キーファーの作品は文学や哲学など広い射程を持っており、その中で1つの主題をなしている存在にハイデガーをあげることができるであろう。

ハイデガーを扱う作品の中に「ハイデガーの脳」と題される作品がある。
大きなスケッチブックの真ん中に、剝き出しの脳の絵が書かれている。その脳には小さな黒い腫瘍のようなものがある。

ページをめくっていくとその腫瘍はどんどんと広がり、ついにはページ全てが黒一色に染まってしまう。

※Martin Heidegger, 1976

ハイデガーがフライブルク大学の学長就任演説で、民族のために全てを徴用するべきであると説いたのは有名である。

存在の概念を根本から覆した天才哲学者である彼が、このようなことを明言するのは、当時のナチスの思想アーリア人至上主義の理論的支柱ともなりえる大事件であった。

キーファーはこのフライブルク大学の学生であった。時代的に被らなくても、本人はハイデガーに会う可能性があったことを示唆している。

戦後ハイデガーは学術界から追放され、自身の演説内容に関しても口をつぐんでしまった。
ようやくその口を開いたのは、1966年のシュピーゲルのインタビューであったが、その回答はとても納得のいくものではなかったと言えるだろう。

ここでも思想の中でドイツの2つの大戦と、その後の分断の時代が素描されている。
彼の作品は決してハイデガーへの個人的な批判にとどまるものではないだろう。

現在でも右派が台頭し、ポピュリズムの炎が世界全土を飲みこもうとしている。歴史に同じ状況は決して起こらない。
しかし、過去を深く再考することは、我々が同じ轍を踏まないようにするためにできうる唯一の対策であろう。

キーファーはハイデガーへの問いかけを通して、世界の全ての人へ再びこの問題を問いかけようとしているのではないか。

日本でも唯一民間人でA級戦犯とされた人物は思想家の大川周明であった。
人文科学の力が弱まっているようにも感じられる現在、しかしその真の力は決して無くなってはいないであろう。

『言語について』パウル・ツェラン


※ー粟と記憶―パウル・ツェランのために

キーファーの世界は哲学だけでなく、文学の世界にも深く根ざしていることは有名だ。

特にミラン・クンデラやパウル・ツェランといった、第二次大戦やその後の冷戦の中での分断を取り上げた作家をモチーフにした作品が多い。

なかでも「ー粟と記憶―パウル・ツェランのために」は、非常に印象的な作品である。

近年はキーファーとツェランの関係についても研究された書物が出版されているが、ここでは『言語』という視点からこの作品を考えてみたい。

この作品では無数の粟が本を突き刺している様子がガラスケースの中に収められている。

言語とは存在を形成するのに欠かせない重要な要素である。

どんな人間でも生まれた瞬間を1人称では語れないのと同じく、私たちは誰かと共有する言語の中で形成されていく。

ツェランはユダヤ人であった。ツェランの両親は強制収容所で死亡している。父親はチフスで、母親は射殺されたと言われている。

※パウル・ツェラン 詩集「死のフーガ」の表紙

ツェランは詩人として詩を作ることに生涯を捧げた人物である。
しかし、彼はその詩を表現する言葉として、ドイツ語しか持ちえなかったのである。

自分を迫害し、両親を殺したその言葉で詩を紡ぐしかなかった。
これこそがキーファーにとっての一大事であったようだ。

生前ツェランは先述したハイデガーの元を訪ねている。
彼はいったい何をハイデガーに問いたかったのだろうか。

彼の言葉はこの粟で穴だらけの本のように、自分を少しずつ少しずつ追い込んでいったに違いない。

この粟はいったい本に刺さっているのだろうか?それとも本から生えているものなのだろうか?

現代美術の原動力とは

現代において芸術は芸術家の神がかった能力に依存することを辞め、もっと広い世界観を作り出すようになった。

そんな現代の美術の原動力の1つは、我々の日常の中に埋もれてしまっているもう1つの世界と改めて向き合うことではないだろうか。

1つのできごと、1つの現象、1つの物体に眠る無限の記憶を通して、私たちに再考を促す。

その意味においてアンゼルム・キーファーは現代美術にとってもっとも重要な作家であることは否定し難い事実であろう。


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