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ゴジラ-1.0 総天然色版➕モノクロ版

去年公開されるなり大ヒットし、国内外で数多くの賞を獲得した「ゴジラ-1.0」が、カラー版モノクロ版共にアマプラにて公開されたので観てみた。

もともと「三丁目の夕日」や「永遠の0」などを観て大泣きされられておきながら、山崎貴監督作はその感動を誘うための表現方法があざとすぎて好きではなく、どれほど話題になっても「ゴジラ-1.0」も頑なに観ていなかったのだが。
結論から言えば「ゴジラ」70周年記念作としてはかなり力の入った作品であると認めざるを得ない。
いきなり核心に触れるが、戦争というものの象徴として描かれるゴジラはただひたすらに圧倒的で心地よくさえある。
兎に角「不死身」というのが、「人がどのように進歩しようとも戦争は決してなくならない。何度でも再生し、命を奪い続けていく。」と宣言されており、嘲笑されているようにすら思える。
特にゴジラ自身の無敵ぶり、不死身ぶりもそうだが、本編ラストで唐突に挿入される浜辺美波演じる典子のゴジラ化への示唆は、人間の中に存在する感情の闇であるとか、エゴといった物がもうそもそも「ゴジラ」そのものなのだと言っているように思える。

そう観て行くと、第1作における「戦争と原爆の象徴」としてのゴジラから今作は更に一歩踏み込んで「戦争はそもそも何故起こり、絶えることがないのか」という問いかけに答えを差し示していると思える。
これまでの作品に無かった、映画全体に影を落とす「戦争」は、観るもの全員に「俺の戦争はまだ終わってない」という主人公敷島の言葉に代表される、登場する元軍人全ての「戦争に生き残ってしまった」という、日本人独特の思いを背負わせる。
故に敷島の特攻にも生還にもドラマ的なカタルシスは無いし、なによりラストに抱き合う敷島と典子の2人に放置される形になる明子の不自然な演出に、なんとも言えない「取り残された人間の運命の示唆」を見いだしてしまうのは自分だけだったのだろうか。

こう言った描き方から見て、第1作以来「エンタテインメント作品」としてその地位を確立させてきたゴジラは、今作で初めて一般映画として完成した感がある。
もちろん山崎監督自身がゴジラファンを自称するだけあり、ゴジラの描き方や選曲などにニヤリとさせられる部分もある。
特に選曲で言わせてもらえれば「キンゴジ」「モスゴジ」両作におけるゴジラ進撃テーマをサラリと使うところにトキメキを覚えたファンもいただろう。
それも「マハラモスラ」や「コング」の旋律部分を織り込む丁寧ぶり。
「これはアメリカ版への何かしらの示唆か」とすら思える。

劇場に観に行かなかった事への後悔はない。
がしかし、観る事なしに作品に対して良い感情を抱いていなかった事に関しては、監督、演者、スタッフの全てに詫びたいと思う。

「ゴジラ-1.0」は世界に誇れる「ゴジラ70周年記念作」である。

追記 : 今回わざわざ2ヴァージョン観たのはカラーで観た結果、これはむしろモノクロで観る作品ではないかと思ったためだったが、その考えは正しかったように思う。
メインテーマに描かれる「戦争」をより真摯に受け止める方法論として、モノクロ版という選択は的確であった。
未見の方は是非モノクロ版での鑑賞をお勧めする。

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